童謡の『さっちゃん』にまつわる噂の一つです。

サユリは中学校から家に帰らずに、直接塾に通っていた。
最初は嫌々ながら行っていたが、塾で学校とは違う友達が出来るようになると段々楽しくなってきた。

その日も塾は十時に終わり、サユリは五人の友達と自転車で連れ立って帰る。
一人減り二人減り、最後まで一緒だった友達とも別れた。

サユリが住むマンションは、高層住宅地の一番奥。
誰も通らないマンションの間の道を、一人で進まなければならなかった。
マンションの部屋には十時を過ぎても明かりがあるが、辺りは静まり返り、街灯だけが道を照らしている。

サユリはこの場所に来ると、怖さを耐えるために歌をうたうことにしていた。
マンションの住人に聞かれるのは恥ずかしかったが、変質者に襲われるよりはマシだと思っていた。
知っている曲を全て歌い尽くしてしまったサユリは、なぜか、昔どこかで聞いた童謡を口ずさんだ。

「さっちゃんはね、さちこっていうんだ、ほんとはね」

そこまで歌った瞬間、街路樹の蔭から男のらしい人影が現れた。
サユリは怖くなり、力一杯ペダルを漕ぎながら、大声で歌い続けた。

「だけど、ちっちゃいから、自分のことさっちゃんっていうんだよ。おかしいね、さっちゃん」

前方の街路樹で再び影が動いた。
さっきの男は、ずっと後ろに引き離した筈なのに。

「だけどちっちゃいから、バナナが半分しか食べられないの」

サユリは必死に歌いながら、懸命に漕いだ。
再び前の街路樹に人が見えた時、街灯の白い光が、その姿をはっきり浮かび上がらせた。
男はシルクハットを被り、燕尾服を着ていた。
髭を生やし、片方の目にレンズをはめている。
手にステッキを持った西洋人だった。

『さっちゃん』の三番目を歌おうとしたところで、サユリは自分のマンションに着いた。
自転車の鍵も掛けずに階段を駆け上がる。
男が自分を見ていたことを両親に知らせると、心配した父親は、「明日から車で迎えに行ってやる」

と言った。
男が西洋人だとは言いそびれた。
翌日、学校に行ったサユリは、親友のマリ子に昨夜のことを打ち明けた。
真面目に聞いてくれるマリ子に、さっちゃんの歌をうたったことまで話すと、「あんた、その歌の三番まで知ってるの?」

真剣に問うマリ子に、サユリは頷いた。

「あんた危なかったよ」

怖い顔でマリ子は言った。

「さっちゃんの歌を三番までうたうと、異人さんに連れて行かれちゃうんだよ」