十年以上前の話なんだけど、その頃はバブルの絶頂期で俺は神戸のとあるカラオケパブで働いてた。
で、そのころ同棲してた彼女の話なんだけど。
彼女も俺と同じ水商売だった。
ま、時間のすれ違いや、女関係のこととかで喧嘩もよくしたけどそれなりに楽しく暮らしてた。

付き合いだしてひと月位経ったある日、俺が家に帰るといつもは先に寝てるはずの彼女が泣いてる。
俺が「どうした?」って聞いても何も言わないでただ泣いてるだけ。
俺も疲れてたし、その日はそのまま寝たんだけど、次の日も家に帰ると泣いてる。
でも問い詰めても何も言わない。

そんなことが何日か続いて俺もいい加減頭にきて殴り倒す勢いで問い詰めると、彼女がようやく喋りだした。

「ひろしが死んだ・・・」って。

「ひろし」ってのは彼女の元彼で俺と付き合う為に別れたので名前だけは知っていた。

俺が「どうして?」って聞くと、ひろしは彼女に未練があったらしく、まだ彼女にしつこく電話していたらしい。
彼女も最初は俺に怒られるからと断っていたが、そのうち俺との喧嘩のことなんかを相談していたらしい。
で、ひろしが「そんなに辛い思いするなら俺が今から迎えに行ってやる!」って言って、その途中でバイクで事故って、死んでしまったと。

それから何日かは彼女も泣いていたけど、そのうち少しずつ元の生活に戻りつつあった。
でも、ひと月程経ったある日、それは突然起こった。
夜一緒のベッドで寝てると、夜中に突然彼女が凄い勢いで飛び起きた。

俺もびっくりして飛び起きて、彼女に「どうした?」って聞いても、何も言わず虚ろな目をしたまま。
寝ぼけてるのか?と思ってもどうも様子がおかしい。
そんなことが何日か続いたある夜、俺がしつこく「どうした?大丈夫か?」と問いかけると。
彼女が虚ろな目をしたまま「ヒヒヒッ」って笑った。
でもその声はどう考えても彼女の声じゃなかった。

男のような低いくぐもった声だった。
俺はそのとき思った。

「これは、彼女じゃないと!」そのとき俺の頭にうかんだのは、「ひろし」だった。
俺が恐る恐る「ひろしか?」って聞くと彼女は俺を見てニヤッと無気味な笑顔を見せるだけ。
俺がしつこく「お前ひろしやろ?」って聞くと彼女は、男の声で「そうや」って言ってまたニヤリと笑った。
でもそのとき確かに俺は怖かったけれど、彼女をなんとかしないとと思い意外な程、冷静だった。
それからひろしは、ほとんど毎日やって来るようになった。

それから俺は「ひろし」と少しずつ会話するようになっていった。
虚ろな目をしたまま何も話さない日もあったけど、俺がしつこく話しかけると何らかの反応はあった。
話す声は相変わらず男の声だった。

ある夜俺が、彼女(ひろし)に「お前何がしたいんや?」って聞いたら彼女(ひろし)は話し出した。

「俺はこいつのことが好きやから、一緒に連れて行こうって思ってんねん。だからお前は邪魔すんな!」

俺はヤバイって思って、必死で彼女(ひろし)を説得しようとした。
それでもひろしは、あの手この手で彼女を連れて逝こうとした。

ある日俺が仕事から帰ると彼女が台所のテーブルで無心で何かボリボリ食べていた。
何を食べてるのか?と思って見てみると、それは彼女が医者から貰ってた睡眠薬だったり。
また別の日仕事から帰ってくるとベランダの手すりの上に立っていたりと。

でもなぜかいつもギリギリのところで俺が助けてた。
だから今度はひろしは邪魔な俺を殺そうとしてきた。
さっきまで普通に喋ってた彼女がふらっとトイレにでも行ったのかと思えば、突然包丁持って襲ってきたり。

色んなことがありました。
あまりに多すぎて省略しますが。
そしてある夜俺はひろしに、どうすれば諦めてくれるのか必死に聞いてみた。

ひろしとの会話の中で俺は、色んなことを聞いてみた。

「お前はどこにいるんや」とか。
ひろしは「空と地上の間の真っ暗で何も無い所に居る」って言ってた。

「タバコくれるか?」って言って手馴れた手つきでたばこを吸ったり。
(ちなみに彼女はタバコを吸わなかった。

後から彼女に聞くと、タバコの吸い方とか仕草もひろしと全く同じだったそうです。
しかもその当時俺は、ショートホープ吸っていたので、いつも正気に戻ると凄くあたまがクラクラしたそうです)
そんなことが3ヶ月程続いたある日突然ひろしが「俺もそろそろ諦めて行くわ」って言いました。

「そのかわりお願いがあるねん。俺が彼女と一緒に買ったソファーあれ捨ててくれへんか?」って。
俺は「わかったからちゃんと捨てるから、お前もちゃんと成仏してくれ」って言った。
その頃には、怖いというよりも少し友達みたいな感覚だった。
相変わらず俺や彼女を殺そうとしてはいたけど。
で、俺は次の日彼女と神戸港にソファーを捨てに行った。

それでひろしも成仏したのか、その日から出てくることもなくなった。
俺も彼女もだいぶ、まいっていたけどまたじょじょに元の生活に戻っていった。
でも、本当は終わりじゃなかった。
翌年にひろしは戻ってきた。
その一年は更に凄い一年だったけどね。

それから、半年程経った翌年の春にひろしは突然戻ってきた。
そのころ俺と彼女はつまらないことで、ほとんど毎日大喧嘩していた。
付き合いだした頃には、まだそれなりに優しいとこもあった彼女。
だけどその頃の彼女は、喧嘩するとすぐ包丁持ち出したり、「あんた殺してあたしも死んだる!」みたいな感じで、凄く気性が荒くなっていた。

ま、俺にも悪いところは沢山あったんだけど。
それでもおれは彼女のことが好きだったんで(本当は、新しい家探したりするのが面倒だったってのもあるけど)
仲良くしようと思って彼女の4月の誕生日に指輪買ってたりした。
そんな誕生日の前の夜にそれは始まった。

夜俺がふと、目覚めると隣で彼女が上半身起こした状態でぶつぶつ何か喋ってる。

「どうした?」って聞いても、虚ろな目でぶつぶつ喋ってる。
俺が声を荒げて「おいっ!どうした?」って聞くと彼女は「ヒヒヒッ」って無気味に笑った。
その声は、まぎれも無くひろしの声だった。

俺が「ひろしか?」って聞くと彼女はまた「ヒヒッ」って無気味に笑った。

「お前ひろしやろ?」って俺が聞くと、彼女は「そうや」って男の声でニヤリと笑った。

「お前、成仏したんちゃうんか?何で帰って来てんねん?」って俺が聞くとひろしは「明日こいつの誕生日やろ、だから来たんや。やっぱりこいつの事諦められへんから連れて逝くわ」って。
そしてまた悪夢のような日々が始まった。
前にも増して強烈に。

それからの彼女は、大分やばかった。
風呂場で泣きながら手首切ってたり、飯なんかは、ほとんど口にしないようになっていた。
ある夜俺が苦しくて目覚めると凄い形相で(でも泣きながら)俺の首を絞めてきたり。

俺も精神的に相当参ってきてたんで、彼女の母親に事のいきさつを話した。
それまでもわりと、俺たちのことを気に懸けてくれた彼女の母親は親身に相談に乗ってくれた。
そして「一度神社にお払いに行きなさい」って言って近所の割と有名な大きめの神社を勧めてくれた。

そして日曜日に3人でタクシーに乗り神社に行くことになった。
その日は朝から彼女は、「しんどいから行きたくない」とか、トイレにこもって出てこなかったりした。
それでも無理やりトイレをこじ開けて何とか服を着させて強引にタクシーに乗せた。
タクシーの中でも彼女はガタガタ震えたり、「帰りたい!」って大声で喚いてたりした。

タクシーの運ちゃんも、その異様な光景にかなりびびってる感じだった。
そして神社の前でタクシーから降りて中に入ろうとすると、彼女は一歩も動かなくなった。
俺と彼女の母親とで両手を引いても凄い力でビクともしなかった。

俺が彼女を無理やり抱きかかえて連れて行こうとすると、彼女は野太い男の声で「離せっ!触んなっ!離せーっ!」って叫んで凄い暴れ方をした。
顔もこの世の者とは思えないくらい凄い形相だった。

その日は日曜日だったこともあり、沢山の人が周りに居たが俺は構わず彼女を抱きかかえ神社の中に入っていった。
彼女はしばらく暴れて俺を殴ったり引っ掻いたりしてたけど、境内に近づくにつれ段々ぐったりしていった。

その時一つ不思議なことがあったんだけど、俺が彼女を抱えて神社に入って行くとき・・・。
俺の耳に凄い音量でお経(祈祷?)みたいのが聞こえ出した。
それとともに彼女も段々大人しくなっていった。

神社の本堂に上がり中に居た神主さんは、俺が抱えている彼女を見るなり全てを察したように「大変だったでしょう」と優しく微笑んでくれた。
そして俺は座布団の上に彼女を寝かせ、今までの事のいきさつや、さっき聞こえたお経のことを神主さんに話した。
すると神主さんは「それは、あなたの守護霊が凄く強力な力であなたを守っているからですよ」と言ってくれた。

それから「普通の方ならとっくに二人とも取り殺されてますよ」とも言った。
そしてすぐに彼女への祈祷が始まった。
祈祷の最中も彼女はぐったりしたままで、暴れたり叫んだりすることもなかった。
それでも顔つきは穏やかで、何だかすやすや寝ているみたいだった。
一時間くらいに亘り祈祷は続いた。

祈祷が終わると神主さんは、俺と彼女の母親を別の部屋に連れて行き、二人に話し出した。
彼女に憑いてるひろしは、相当に念が深く今日、明日には良くならないとのこと。
ひろしが現れなくなった後も喧嘩が絶えなかったのも全てひろしが原因だったことなど。
そして神主さんは、こう言った。

「あなた達は一緒に居ないほうがいい。そうしないと、いずれはあなたもやられてしまいますよ」って。

でも俺は彼女の母親の手前「それはできません!」って言いました。
でも彼女の母親は優しくそれでもキッパリと俺に言いました。

「あんたたちしばらく離れて暮らしなさい。◯◯はあたしがちゃんとするから」って。
俺は正直そのとき少しほっとしたのを覚えてる。

その日は彼女は母親の元に帰り、俺はその日のうちに荷物をまとめて彼女のマンションを後にしました。
それから何ヶ月かは、俺の勤め先に彼女から一日に何十回も電話があったり、店の前で待ち伏せされたりしました。

彼女の母親にも相談したりしたけど彼女の母親が言うには、その頃の彼女は半分ノイローゼ状態だったそうです。
そのうち電話も無くなり、俺も店を変わったので、その後彼女がどうなったのかは解からない。
けど、人づてに聞いたところによるとどこかの病院に入院したそうです。

あれから十年以上が経ち、今となってはどこでどうしてるかは全くわかりません。
後にも先にもあんな体験は無いだろうと思います。