小劇団で活躍する山本さんは、よく旅行をする。
それはプライベートな旅で、東北のある街に行った最初の晩だ。

ちょうど観光シーズンゆえか、あいにく市内のホテルはどこも満員だった。
何件目かのとあるホテルに行くと、旧館ならば部屋がひとつ空いていると言われた。

それはモダンな新館に隣接した、やけに古びた建物だった。
案内されて部屋に入った時、山本さんはちょっと嫌な予感がした。
なんとなく空気が濃密な感じがして、しかも、いわく言い難い圧迫感がある。
それまで霊体験のなかった山本さんは、旅の疲れのせいだろうと思った。

その真夜中。

ドン!ドン!ドン!

部屋のドアが、激しく叩かれた。
目をさまして飛び起きた山本さんは、音の聴こえたドアを見た。

「誰なの?」

ベッドを降りて戸口に向かうと、彼女はそっと扉を開いた。
ところが、外には誰の姿もない。
しんと静まり返った廊下が、果てまで続くばかりだ。
薄暗い廊下の行き着く先に、『非常口』と記した緑のライトが淡い光を投げかけている。

反対側に目をやると、エレベータの向こうに階段が見えている。

時刻は真夜中の二時過ぎ。
さすがに歩く人影もない。

近くの部屋に止まっている、誰かの悪戯だったのだろうか?
ふいに、この部屋に入った時の圧迫感を思い出して、山本さんは背中にひんやりと寒気を感じた。
そろそろとベッドに戻ったが、なかなか眠れない。
こわごわとドアに目をやれば、部屋の暗闇の中、真っ黒な扉の下の隙間から、外の薄明かりが漏れている。
ようやく眠りに落ちた時だ。

ドン!ドン!ドン!

またも激しくドアが叩かれて、山本さんは眠りから引き戻された。
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!

音は繰り返し聞こえている。
山本さんは震えながらもひたひたとドアに歩み寄った。
するとドアの音はぴたりとやんでしまった。
意を決した彼女は、ドアの真ん中にある小さな覗き穴から外をみた。

やはり、廊下には誰もいない。(そんな・・・)

覗き穴から目を離したときだ。

突如、山本さんは背後から何者かに恐ろしい力で突き飛ばされ、顔をドアにぶつけて、その場に昏倒してしまったのである。
意識を取り戻したのは、翌朝になってからのことだ。

「いったい、どういうことなのよっ!」

山本さんの苦情を聞いたフロント係は、青ざめた顔で同僚になにか話しかけていたが、やがてぽつりと話し出した。

「今から六年前、あの旧館で火事があったんです。ほとんどのお客様は非常階段から逃げたのですけど、ちょうどあなたが泊まりになった部屋におられた若い女性がひとり、非常ベルの音に気づかないほど熟睡してらっしゃった・・・」

その女性が異常に気づいた時、すでに部屋には煙りが充満していたらしい。
彼女は必死に扉まで這っていったが、パニックに陥ってチェーン・ロックを解除することができなかった。
結局、その女性は部屋に閉じ込められたまま、煙りで酸欠死したのだと言う。
山本さんは蒼白となった。

すなわち。

ドアは、部屋の内側から叩かれていたのだ。