昭和53年7月5日、警視庁捜査4課と赤坂署は広域暴力団の住吉連合K会・A幹部(当時29歳)の遺体を兵庫県と岡山県の二ヶ所の山林から発見した。

遺体は腐乱しており頭部・胴体・両手・両足がバラバラにされていたが背中の刺青が「天女」であることから同幹部であると確認された。
だが、なぜか両手首が発見できなかった・・・。

捜査本部がこれまでに捜査した結果、このA幹部と先に殺人容疑で逮捕された同幹部はK会の組長代行のポストと屋台ラーメンの縄張りで日頃から抗争が絶えなかった。

そこで、Bは子分4人と共謀し兄貴格のA幹部を殺害。
殺害後、子分の郷里に近い兵庫県と岡山県に遺体をバラバラにして遺棄したことが判明した。
捜査本部は、両手首が発見できないことに疑問を抱き、厳しく追及した。

その結果、「指の指紋から身元が判明することを恐れ、A幹部の両手首を持ち帰った。その後、両手首の始末に困り、子分達が商売にしている屋台ラーメンのダシとして使用し煮え残った骨は金槌で粉々にして捨てた」と自供した。

某暴力団の組長代行の地位とラーメン屋台の縄張りで抗争が絶えなかったことが原因である。

本事件の新聞報道で都民はパニックに陥った。
屋台ラーメンを利用した客から警察に問い合わせが殺到して、ラーメン業界も売上が3割ダウンという事態に陥った。
事態を重く見た警察も見解が割れて大騒動となった。

まず、所轄の赤坂署は「手首でダシを取った屋台ラーメンで尾久~荒川土手~西日暮里(東京都・荒川区周辺)のコースを流したがチャルメラは吹かず、客にもネタが無いから断った」という自供を取ったのに対して、警視庁捜査4課は「午後5時から9時間も屋台を引いて一杯も売らなかったという自供を信じろと言う方が無理じゃありませんか」という見解だった。

この捜査4課の発表は業界から猛烈な抗議を受けた。

営業妨害だと糾弾された捜査4課は、10月4日に「手首ラーメンは、その他の状況から売られなかった」と『弁明』した。

昭和54年9月26日、東京地裁は、Bに懲役17年(求刑は無期懲役)、他の4人に同8年~12年の判決を言い渡した。

ちなみにこのラーメン屋台は複数存在し、人気店だったため一杯も売らなかったことはありえないらしい。