点滅を繰り返す街灯が照らす暗い道。
足元には別の人間の影が付かず離れず映っている。
冷たい空気は革靴の音だけを響かせる。
それは一定のリズムを全く狂わせず、ずっと私を追っていた。

決して確信があるわけじゃない。
けれど、私には後の男が恐ろしい存在のように感じられてならなかった。
冬の空気が体中を張りつめさせる。
その中で甲高い音だけが世界を形成している。
もう虫の集らない汚い街灯だけが、頼りなく私を守ってくれる。
もう、大分経ったのに男の影はまだ距離を外さないこの辺りに人家は少ない。
冷たく暗いビルが並んでいるだけ。

走れば追われる。
アスファルトと鉄の網。
微かに水が流れる音。
昼間もあまり気分がいいところではないけれど、夜は空気が重くなって、それをかき分け進んでいるような錯覚さえ起こさせる。
ふと、気付いた。
私たちが進む方向はこれからさらに暗くなる。
そして明かりのない公園。

これはまずい。
けれども、一本道で、か弱い女に一体何ができようか。

車の音が遠くから聞こえた。
ただの思い過しだ。
そう私は信じようとした。
単に方向が一緒の方なだけで、向こうも気まずいのかもしれない。

そうだ。
きっとそうだ。

私は少し歩調を早めた。
音のスピードは変わらない。

規則的に、時に微かな息遣いを交えて暗闇から伝わる。
私は一気に距離を離そうと歩幅を広めた。

もう、大丈夫だ。

足音が早まる気配はない。
このペースで進めばあと少しで家に着くだろう。
頭上の電灯が点滅を早めて、消えた。

異変に気付いたのはその直後だった。
確かに後ろの歩調は変わってなかった。
けれども、まだその音自体はすぐ後にいるのだ。
そのことに気付いて私の首筋を冷たいものが流れた。

心臓が止まりそうなほどの恐怖。
テレビで見た恐怖映画のワンシーンの一瞬とそれは似ていた。

湿地付近の森を少女は走り続ける。
けれど、立ち止まった瞬間に少女の身体は無残に引き裂かれる。

悪夢がフィードバックする。
しかし、この恐怖は終わりの見えない生々しい現実なのだ。

それはやがてさらに現実に近くなった。
着実な歩みが私の歩調を捉えた。

刻々と近づく気配。

獣を思わせる息遣い。
足音。

足音?私は下に落としていた視線を上げた。
前から別の足音がするのだ。
すぐには気付かなかったけれど、私は理解できた。
人がいるのだ。
自動車の光の帯が人影を覆っていった。

助かった。

私は一気に歩調を早めてその人影に向かって走っていった。

人影は次第にはっきりしていった。
か細いけれど、間違いなく男だった。
再び明かりが男を照らした。

私の歩みが止まった。
違う。

どこかが違った、普通の人間と。
まだ若い男だ。
それも奇妙なほど・・・ねじ曲がった唇。
怯えながらも血走った目。
品性を感じさせない服装。
その男が震えながらにや~っと笑った。
男が何を欲してるかはすぐに見て取れた。

安心感を一気に強烈な恐怖が覆い隠した。
全身が氷柱で包まれたかのような寒気に襲われる。
男の手には斧のようなものがしっかりと握られていた。
男の幼稚さがさらに不気味さを増した。
そして、不安定な歩みのまま男は私に近づいてきた。
男の口が開かれた。

言葉を出そうと空気が漏れた瞬間だった。
後ろから黒い影が一気に走ってきて私の前に立った。

大きな影だった。

男の顔に強烈な怯えが走った。
その影は大声で怒鳴りながらその男に飛びかかった。
子供のような悲鳴を上げて男が逃げようとした。
影はけれどすぐに男を捕まえる。
腕を捻られ、斧のようなものが落とされる。
私はすぐにそれを拾いあげる。

幼稚な悲鳴は消えない。
影の膝が暴れる男の胸に鈍い音を立てながら一発だけ入れられる。
その一撃で男は子供のように泣きだした。

影は手錠をその男にかけた。
影の正体は警察官だった。

警察官「近くで連続殺人があったんですよ。それでパトロールしてわけなんですけれど。まあ、若い女性が一人で歩いてて、心配だなー、って感じでみてたんです。まだ新任なもんで、声をかけづらくて。でも、ホント間に合ってよかった」

男はまだ汚く泣きながら「違うよぉ」とわめいていた。

薄暗い中でも涙と鼻水と唾液で顔がてかってるのが分かった。
その警官はわりといい男だった。
顔は体育会系だけど、どこか大人びている。
署に携帯で連絡を取ってる横顔にとても惹かれた。
彼の存在で私の恐怖心は、震えは止まらなかったけれども、嘘のように消された。

警察官「ところで」

その警官が辺りを見回しながら口を開いた。

警察官「この野郎の持ってた凶器はどこにいったんでしょうか」

暗くて分からないのだろう。
私は微笑みながら口を開いた。
唾が溜まってるのを音がしないように飲み込んだ。

私「おまわりさん?」

警察官「はい?」

私「その連続殺人犯の手口って、どんな風だったんです?」

警察官「詳しくは言えませんが、比較的に容姿の整った若者を手近のもので刺したり殴ったりと。てな感じですよ。まったく、血も涙もない野郎ですよ」

警官はまだ辺りを懐中電灯で捜しながら答えた。
頼もしいね、全く。

私「もう一ついいですか?」

警察官「はい?」

私「血も涙もない鬼畜野郎でも、やっぱり恐怖は感じることがあるんですよ」

私は一歩、彼に近づいた。

警察官「は?」

安心感がぞくぞくするような期待感に変わった。

コ・イ・ツ・ハ・ワ・タ・シ・ノ・モノ・ダ。

私は警官の後頭部に握っていた斧を思い切り振り上げ、そして叩きつけた。
警帽が転がり落ちる。
重い斧が頭蓋骨を砕き、みずみずしい果汁のように脳漿が飛び散った。

鈍い音を立てて、斧はどんどん彼の頭部にめりこんでいった。

私「ねぇ、気持ちいいでしょ?」

私は斧を三分の一までめりこませ、引き抜いた。
ぐちょぐちょと粘気のある脳の一部が一緒に飛び出る。

警察官「これは、なんなんでしょうか・・・」

警官が歪に変形した笑った顔のままこっちを向いた。
トラックで引き摺られたような顔になった彼の頬を私は優しく撫でてやった。
けれども彼は白目を向き、ぐぼリと真っ黒い液体を吐き、生きたまま焼かれる蛇のように痙攣しながら倒れた。

嘔吐物が冷たい地面を染め始めた。

笑いに自然と私の頬が弛んだ。
そして、音声となって外に飛び出た。

冷たい空気はそれを周りに響かせた。
グロテスクな中身を露出する骸は、頭から液体を垂らしながらまだびくん、びくんと痙攣を続けていた。

月の光が私を照らしだした。
頬に彼の血が着いていた。
私はそれを小指ですくって、ゆっくりとしゃぶった。
唾液が糸を引き、月の光が反射した。

私はもう堪えきれなくてウキケケケケと、笑いだしてしまった。

ウキケケケケ。

そんな私の笑い声に協調するように、男の幼稚な泣き声がさらに甲高くなっていった。