幼稚園の頃、同級の子が車に撥ねられて死にました。
それから月日が経ち、小学校4年の時にそいつが転校生として私のクラスにやってきたので面食らった。
幼稚園の時に同級だったうちの4,5人が当時のクラスメイトにいて、皆で昼休みに体育館裏に集合し、「あいつ、事故で死んだよな。どういうことだ?」とパニックになって激論したが結論は出ず。
本人には、『おまえ、死んだはずだよな』などと言えないので、普通にクラスメイトとして過ごしたが、皆びくびくものだったよ。
その転校生と話をすると、確かに同じ幼稚園にいて、私のことも覚えていた。
本人の話によると、父親の仕事の都合で小学校からは別の土地になり、今回、また父親の転勤で帰ってきたんだと。
しかも最近、仕事先で偶然、幼稚園以来一度も会っていなかった友人と再会し、懐かしい話に花を咲かせたが、ふとそいつが「そういえば、幼稚園の時に交通事故で死んだやつがいたよな」と、例の男の名をあげて話し始めた時は、さすがに気の遠くなるような寒気を覚えた。
全然霊体験もしたことのない自分だが、いまでもこのことだけは納得いく説明がつかない。
幼稚園の時にそんな葬式はありませんでした。
これははっきりしています。
幼稚園ならば、当然お葬式があれば、親と一緒に行くはずです。
しかし、私の親も、他の友人の親も、誰もその葬式については記憶がないとのことでした。
それどころか、彼の印象が驚くほど薄く、卒園アルバムの彼の写真を見ても、「こんな子居たっけ?」という反応をされたのを覚えています。
そんな子はどのクラスにもいると思うので、さして不思議ではありませんが・・・彼本人は、幼稚園を卒園してから小学校に上がる間の3月頃に、大阪に引っ越ししており、彼自身にとってはゴク普通の引っ越し→大阪の学校への入学なのです。
これも当時確認済みです。
ですから、普通に考えれば、私自身の勘違いと認識できそうなケースなのですが、ここでひとつ問題があります。
なぜ私だけでなく他の同幼稚園出身者も、私と同じように彼が死んだことを『確信』していたのか。
小学校当時のクラスメイトだけならば、なにか共通の意識を植え付けられるようなことがあったのでは?ともこじつけられますが、当時の園にいて、その後、ほとんど音信不通だった人間でさえ、彼は確かに事故に遭い、そして死んだ!!(はずだ)と断定していることに、私はつかみどころのない焦燥を感じているのです。
ちなみに、卒園の前後に事故に遭ったはずなので、既に卒園アルバムは配布後で、アルバムから真偽の判断をする材料を見つけるのは困難です。
また、当時通っていたミッション系の私立幼稚園は、その後の経営不振で現在存在しません。
日常の社会人生活が忙しく、普段は気にもとめないのですが、ふとこの奇妙な出来事を思い出すことがあり、その不可解さに決まって気分がなえるのです。
また、例の彼は、いわゆる転勤族の息子のようで、中学に上がる前に、また別の土地へ転校して行き、その後わかりません。
彼には何の責任もありませんが、もしも彼が今後私の前に現れるようなことがあったら、私はどういう反応をして良いか困ってしまうはずです。
それから月日が経ち、小学校4年の時にそいつが転校生として私のクラスにやってきたので面食らった。
幼稚園の時に同級だったうちの4,5人が当時のクラスメイトにいて、皆で昼休みに体育館裏に集合し、「あいつ、事故で死んだよな。どういうことだ?」とパニックになって激論したが結論は出ず。
本人には、『おまえ、死んだはずだよな』などと言えないので、普通にクラスメイトとして過ごしたが、皆びくびくものだったよ。
その転校生と話をすると、確かに同じ幼稚園にいて、私のことも覚えていた。
本人の話によると、父親の仕事の都合で小学校からは別の土地になり、今回、また父親の転勤で帰ってきたんだと。
しかも最近、仕事先で偶然、幼稚園以来一度も会っていなかった友人と再会し、懐かしい話に花を咲かせたが、ふとそいつが「そういえば、幼稚園の時に交通事故で死んだやつがいたよな」と、例の男の名をあげて話し始めた時は、さすがに気の遠くなるような寒気を覚えた。
全然霊体験もしたことのない自分だが、いまでもこのことだけは納得いく説明がつかない。
幼稚園の時にそんな葬式はありませんでした。
これははっきりしています。
幼稚園ならば、当然お葬式があれば、親と一緒に行くはずです。
しかし、私の親も、他の友人の親も、誰もその葬式については記憶がないとのことでした。
それどころか、彼の印象が驚くほど薄く、卒園アルバムの彼の写真を見ても、「こんな子居たっけ?」という反応をされたのを覚えています。
そんな子はどのクラスにもいると思うので、さして不思議ではありませんが・・・彼本人は、幼稚園を卒園してから小学校に上がる間の3月頃に、大阪に引っ越ししており、彼自身にとってはゴク普通の引っ越し→大阪の学校への入学なのです。
これも当時確認済みです。
ですから、普通に考えれば、私自身の勘違いと認識できそうなケースなのですが、ここでひとつ問題があります。
なぜ私だけでなく他の同幼稚園出身者も、私と同じように彼が死んだことを『確信』していたのか。
小学校当時のクラスメイトだけならば、なにか共通の意識を植え付けられるようなことがあったのでは?ともこじつけられますが、当時の園にいて、その後、ほとんど音信不通だった人間でさえ、彼は確かに事故に遭い、そして死んだ!!(はずだ)と断定していることに、私はつかみどころのない焦燥を感じているのです。
ちなみに、卒園の前後に事故に遭ったはずなので、既に卒園アルバムは配布後で、アルバムから真偽の判断をする材料を見つけるのは困難です。
また、当時通っていたミッション系の私立幼稚園は、その後の経営不振で現在存在しません。
日常の社会人生活が忙しく、普段は気にもとめないのですが、ふとこの奇妙な出来事を思い出すことがあり、その不可解さに決まって気分がなえるのです。
また、例の彼は、いわゆる転勤族の息子のようで、中学に上がる前に、また別の土地へ転校して行き、その後わかりません。
彼には何の責任もありませんが、もしも彼が今後私の前に現れるようなことがあったら、私はどういう反応をして良いか困ってしまうはずです。
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