大学時代のことです。
気が狂ったように勉強してやっと希望大学に入学出来たものの、授業についていけない日々が続き、心身共に疲れ切っていました。
思い描いていた大学生活とは、実際の日々はかけ離れており、ふとした時に自殺すら考えるようになりました。
これではいけないと、気晴らしに実家へ戻ろうと思い立ち、その日のうちに飛行機を予約、北海道へと旅立ちました。
入学後、たったの3ヶ月で20キロ近くも痩せた私を見て母は驚愕し、何も聞かずに寝所を整えてくれました。
厳格だった父も私の様子を見て、「無理をするな」と、普段聞いたことのなかった言葉を掛けてくれました。
実家に戻り2日が過ぎた頃、枕元にさえ教科書を置いておくことが習慣になっていた私は勉強をほうり出し、実家へ逃げ帰ってきたことを少しずつ後悔しはじめました。
しかし、あれは今から思えば、一種の強迫観念に駆られていただけだと思います。
やみくもに勉強したところで、頭に内容など入るわけがない。
母は私にそう言い、気晴らしに裏山を散歩することを勧めてくれました。
母の助言に耳を傾け、素直に母親はありがたい存在だと思いました。
今までそんな小さな、大切な感情ですら、私は忘れてしまっていたのだと気付き、無性に悲しくなりました。
小学校低学年の頃以来、踏み込んだことのなかった裏山は相変わらずそこに、そのままありました。
懐かしい思いをほのかに抱きつつ、私は雑草の生い茂る小径を進んで行きました。
平坦な道を200メートル程、左右に連なる針葉樹の群れを仰ぎながら進んだでしょうか。
先を行こうとする私の前に、突如一件の家が出現しました。
見るからに空家の、半ば崩れかけた外装、藁葺き屋根の、北海道では昔、よく見られた光景です。
子供の頃、何度となくこの道を行き来し、何人もの友達とこの裏山で遊んでいたのに、私はこの廃屋らしきものの存在を忘れてしまったのか?
何かに引き寄せられるように、私はその廃屋へ近づきました。
玄関へ通じるはずの引戸はもうとっくに朽ち果てており、かろうじて一ケ所の蝶番で繋がっているだけでした。
私はそこをくぐり抜け、表現のしようのない興味を胸に、その廃屋の中へと入っていったのです。
玄関を入ると右側に、二階へ続く階段、左は長い廊下で、その先にはいくつも麩(ふすま)がありました。
三和土の上を見ると、くすんだ鏡が自分を写しています。
階段の柱には、古ぼけた振り子時計がかかっており、驚くことにそれはまだ時を刻んでいました。
時計が秒を刻む音が、なぜかしらどこか遠くから聞こえるような気がしました。
今思えばあれはきっと、何か強い衝動が私を動かしたとしか言い様がありません。
普段とても臆病な自分が、その廃屋の階段を上って行きました。
急な階段を上っている時、心臓の鼓動と振り子時計の秒針の音がうるさいくらいに、まるで警告のように耳に響いていました。
階段を上り切った左手に麩(ふすま)があり、右手から差す日の光に、ものも言わず、無気味に照らされていました。
すべての光景が黄色がかって、その場所だけが、その瞬間だけが止まっているかのような錯角を覚えました。
開けてはいけないという、先刻からの警告が確実なものとなり、その意志とは正反対に、私の両手は麩(ふすま)に掛かり、それを開け放ちました。
畳の敷き詰められたその部屋は思いのほか広く、部屋の奥には、仏壇の前に祭壇らしきものが奉られていました。
誰もいないはずのこの廃屋の祭壇には、果物や菊の花がたくさん供えられていて、その中央に花に囲まれるようにして女性の遺影がありました。
何かに引きずられるように祭壇へ近づいた私が見たその遺影は見覚えのある高校の制服を着た、うつむき加減の、まぎれもなく私のものでした。
気が狂ったように勉強してやっと希望大学に入学出来たものの、授業についていけない日々が続き、心身共に疲れ切っていました。
思い描いていた大学生活とは、実際の日々はかけ離れており、ふとした時に自殺すら考えるようになりました。
これではいけないと、気晴らしに実家へ戻ろうと思い立ち、その日のうちに飛行機を予約、北海道へと旅立ちました。
入学後、たったの3ヶ月で20キロ近くも痩せた私を見て母は驚愕し、何も聞かずに寝所を整えてくれました。
厳格だった父も私の様子を見て、「無理をするな」と、普段聞いたことのなかった言葉を掛けてくれました。
実家に戻り2日が過ぎた頃、枕元にさえ教科書を置いておくことが習慣になっていた私は勉強をほうり出し、実家へ逃げ帰ってきたことを少しずつ後悔しはじめました。
しかし、あれは今から思えば、一種の強迫観念に駆られていただけだと思います。
やみくもに勉強したところで、頭に内容など入るわけがない。
母は私にそう言い、気晴らしに裏山を散歩することを勧めてくれました。
母の助言に耳を傾け、素直に母親はありがたい存在だと思いました。
今までそんな小さな、大切な感情ですら、私は忘れてしまっていたのだと気付き、無性に悲しくなりました。
小学校低学年の頃以来、踏み込んだことのなかった裏山は相変わらずそこに、そのままありました。
懐かしい思いをほのかに抱きつつ、私は雑草の生い茂る小径を進んで行きました。
平坦な道を200メートル程、左右に連なる針葉樹の群れを仰ぎながら進んだでしょうか。
先を行こうとする私の前に、突如一件の家が出現しました。
見るからに空家の、半ば崩れかけた外装、藁葺き屋根の、北海道では昔、よく見られた光景です。
子供の頃、何度となくこの道を行き来し、何人もの友達とこの裏山で遊んでいたのに、私はこの廃屋らしきものの存在を忘れてしまったのか?
何かに引き寄せられるように、私はその廃屋へ近づきました。
玄関へ通じるはずの引戸はもうとっくに朽ち果てており、かろうじて一ケ所の蝶番で繋がっているだけでした。
私はそこをくぐり抜け、表現のしようのない興味を胸に、その廃屋の中へと入っていったのです。
玄関を入ると右側に、二階へ続く階段、左は長い廊下で、その先にはいくつも麩(ふすま)がありました。
三和土の上を見ると、くすんだ鏡が自分を写しています。
階段の柱には、古ぼけた振り子時計がかかっており、驚くことにそれはまだ時を刻んでいました。
時計が秒を刻む音が、なぜかしらどこか遠くから聞こえるような気がしました。
今思えばあれはきっと、何か強い衝動が私を動かしたとしか言い様がありません。
普段とても臆病な自分が、その廃屋の階段を上って行きました。
急な階段を上っている時、心臓の鼓動と振り子時計の秒針の音がうるさいくらいに、まるで警告のように耳に響いていました。
階段を上り切った左手に麩(ふすま)があり、右手から差す日の光に、ものも言わず、無気味に照らされていました。
すべての光景が黄色がかって、その場所だけが、その瞬間だけが止まっているかのような錯角を覚えました。
開けてはいけないという、先刻からの警告が確実なものとなり、その意志とは正反対に、私の両手は麩(ふすま)に掛かり、それを開け放ちました。
畳の敷き詰められたその部屋は思いのほか広く、部屋の奥には、仏壇の前に祭壇らしきものが奉られていました。
誰もいないはずのこの廃屋の祭壇には、果物や菊の花がたくさん供えられていて、その中央に花に囲まれるようにして女性の遺影がありました。
何かに引きずられるように祭壇へ近づいた私が見たその遺影は見覚えのある高校の制服を着た、うつむき加減の、まぎれもなく私のものでした。
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