次の日の朝早く、帰る振りをして、お婆さんに謝して洞窟を出た二人は、少しばかり戻ってから、問題の場所を確かめようと話し合いました。

人工衛星のとび交うご時世に、婆さんの言うような馬鹿なことがあってたまるかいとの息子の提案に、好奇心きわめて旺盛な私が一も二もなく賛成したからです。
しかし、その後はひどい道中になりました。

ばら科の植物と強じんなつるの多い茎がからみ付き、足を取られ大変な難行軍になりました。
一歩一歩が汗だくになり、必死の歩行なのです。
二粁ほども進んだと思います。
参ってしまうなあと奥山に進んだのを後悔し始めましたが、今更引き返すことはできません。

「お母さん、前の方が変な色に変わってきたよ」

息子は、ばらとの闘いの苦しい道程が終わりそうになった時、私に問いかけました。
私自身も先刻から数百米ほども前方に淡い青のまじっている緑色のガスか霧に似たものが突然に発生して、次第に大きくなり、こちらの方角に進んでくる感じを気にしていたのです。
長い期間山歩きを過ごしてきた私には、このような色彩のガスを経験したこともありませんし、発生する場所と湧き上がり広がる工合も、常識では判断できない現象でした。
この時刻と現在の天候状態では、ガス、霧ともに湧くはずがないのです。

これが田代峠の奥に存在すると言われている不明の正体なのか?と、さすがにぎょっとして足を停めようとしましたが、自分の意志とは正反対に、足の方で動きをとめてくれません。
私より数歩だけ前を進んでいた息子も同じ思いだったそうです。
ガスはますます濃くなって、私達の方に向かって輪を広げてきて、私達は見えない引力にずるずると引き込まれていくのでした。

前を歩いていた息子が真青な顔を私に向けて叫びました。

「お母さん。これ」

山歩き用に使っていて、私が息子に持たせておいた大型の携帯用羅針盤を指差していました。
あとは恐怖で言葉が出ないらしいのです。
必ず北を示していなければならない指針が、無暗にぐるぐる回るだけで、不安定な針先はどこを差しているのか見当がつきません。

そんな信じられないことが!!?と、羅針盤を水平に持ち直しても、同様に針は固定せずに大きく回ったり鋭く振れ動いて、決まった所を差さないのです。

不安定な振れが収まると、前方の方角に固定してしてしまいました。
初夏の太陽の方向と言えば、東か南です。
磁石の北に向くべき針が、東南に。
あり得べからざる事態に仰天してしまいました。
そして、指針に向かって私達の身体までが、吸い込まれるように動かされていることに気付きました。

あっと言う間に延びてきた緑の気体が、私達を包んだようでした。
くんくん鼻を鳴らして嗅いだ私は、ガスか煙霧に似たこと気体は酸素と窒素からなる空気でなくて、説明のしようもない別の成分の気体ではなかろうかと直感しました。
緑のガスを大きく吸い込みますと、すうーっと肺の中までしみる快いものを覚えました。

と、同時に、急に身体が軽くなりました。
普通に歩いたつもりだったのですが、足を踏み出した瞬間に、ふあふあした自分の身体は二米も高くとび上がった感じで、そのまま十米くらい前方に音もなく降りる感じでした。
映画のスローモーションフィルムと同じような動作だと思い、突然に地球の引力がなくなってしまったのでは、いやあるにしても何分の一かに減ってしまっているのです。

私だけではありません。
突然の変化で前を進む息子は恐怖におびえた顔を、間の抜けたスローモーション動作を示しながら振り返って見せているのです。
第二歩を空中に躍らせた時、高い空を見上げました。

空は青色に決まっていますし、数秒前には間違いなく青だったはずなのに、紫に変わっていました。
ただの紫ではありません。
抜けるように濃くすき通って眺められる紫の色でした。
そんな馬鹿な話ってあるものですか、そう感じました。

次には、ふんわり降りる際に、地上に目をやったのですが、たった今まで苦闘したばら科植物と蔦が消えていて、砂地になっているのです。
しかも、この地方で見る土砂でなくて、何時か九州の海岸に遊んだ時に手につかんだ砂に似ています。
まばゆく輝く水晶とも思われる石英がまじっているなあと思いました。
山の中に海浜の波打ち際に見られる砂があるとは、私は混乱してしまいました。

もう一つの奇怪な現象に、はっとしました。
ガスを通して見える五百米くらいの先の小高い山の中腹が、がらん洞の洞窟らしい穴になっていて、その穴に向かって風が吹いているのです。
附近の気体の流れが、その穴に対して集中しているみたいでした。
つまり、直径一粁もありそうな得体の知れない砂地の真上を穴を中心点とした場所へ、四方八方かたのかなり強い風が吹いているようだったのです。

木や葉は全く生えていません。
緑のガスが一面にただよっている外に、近づいて分ったのですが、小高い山と覚しい露出している山肌は緑色の泡で包まれていたのを発見しました。

しゃぼん玉遊びをするときや石鹸から出る泡と同じような泡ですが、なぜか緑色の小粒の泡です。
かなり強い風があるのに地面に着いて離れないでいるのです。
どこから何のためにと、私の頭は狂いそうになってしまいました。
地球上の動植物でこんな泡を出すものは聞いたことがありませんし、気象学の方面でも見聞きしていません。

大洞窟に近づいた私が右手で地面に吸いついている泡を握った時に、納豆のような粘っこいものがからんで消えずに残り、手の平は真赤になりました。
緑から朱に変わったことと、熱い感じだったのを記憶しています。
この小区域だけは地球上にありながら、別の未知の天体のようになっているらしいことと、緑色に光っている泡自体が、確かに生きているのを確認したように思われたことです。

大洞窟に吸い込まれるように入った私達は、がらんどうではなくて、雑多なものが天井や岩肌にぺたぺたと張り付けられているのに気付き、なぜか鉄片を吸いつける磁石のような働きをする内部の岩壁に驚きました。
二十米もあろう高い天井に、にぶく光る物体を見つけ、取ろうとしてジャンプしました。
ここは引力が極端に弱くなっているせいか、私でさえも楽に飛び上がれるのです。
緩慢な動作でしたが、身体がふあーっと空中に躍り難なく届きました。

縦横十糎(センチ)のも足りない銅合金の板でしたが手にして読むと、確かに「金星発動機五二型昭和十九年製三菱航空機株式会社」と刻み込まれていた記憶があります。
後になってから、旧海軍に在籍したことのある方にたずねますと、中型の陸上攻撃機とか称する飛行機用エンジンの名称板だと教えてくれました。
そうしますと、戦争中にこの附近で不明になった海軍機のものになります

でも、大きな図体のジュラルミンや鉄片と人間の姿が見えなかったのは何故だろうかと疑えるのです。
地面に散らばっていたものも、銅製品であるまいかと思われる物体が多くありました。
鉄やアルミ合金などは溶けてしまい、銅だけが残されていた感じでした。
その外には、何百年か以前のものらしい百姓民具のうち、銅製品の鍋や萓合羽の支え具らしいのも散らばってました。

タイムマシンの世界に踏み込んだ思いで、私は息子へ目で合図して、いわくありげな洞窟から逃げようとしました。

口は利けなくなっていました。
強い風力に抵抗して脱出するのは相当の苦痛でした。

洞窟から出た途端に小高い山のいただきあたりから、白昼ですが写真のフラッシュよりも強烈な光線を浴びた感じでしたが、目がくらんで倒れたように思います。
これも後で聞いたのですが、息子は一遍は倒れたけれども再び起き上がって、夢遊病者のように前の道を歩いて帰ったようだった、と言っています。
そのへんは、はっきり分からないのですが、フラッシュに似た光は、白くはなくて緑色の光線だったと断言できるのです。

何時間過ぎたのか分かりませんでしたが、ふと、目を覚ましますと、私と息子の二人は、前に申し上げました老婆の住む洞窟の前に倒れていたのです。
起き上がった私達は洞穴に入ってみますと、人影はおろか確かにあった諸道具は、何一つなく姿を消しているのです。
そして炉端だった土面から泡が涌き出ていました。
例の緑色に輝き光る泡が、生きもののようにうごめいているのでした。

私達が四日間も家に戻らなくて、大騒ぎになっていることも知りました。
それから息子の方は二カ月ばかり安静してから、元の健康体に回復しましたが、私は現在でも近くの市にある精神科病院に通っています。

先生から、高空に長時間いたための症状に似ていると診断されましたが、誰も私の話を信用してくれません。
ですが、私だけではなしに息子も奇怪な体験をしているのです。

私達は信じられない現象を自分の目で確かめて、あそこの場所はいったいなんだろうかと考えましたが、地球以外の天体からやって来て少なくとも何百年の間も、UFOなどの未確認物体を誘導する地球基地ではあるまいか。
洞窟に住んでいたお婆さんは、老婆に姿をやつした他天体からの派遣員だとも信じられるのです。

いくら考えても分からないのが緑色の泡でした。
地球人の私達には理解できなかったのですが、自在に色彩を変化させ、超短波のような電波を発信して、通信の役目を果たしているとしか想像できません。
田代峠の山地に複数の人間がこの目で確認しても、誰も本気にしてくれないことを情なく思います。