私「そこは遠いよ」

お兄さん「車に乗っていけばいい」

私「知らない人の車に乗っちゃいけないって言われてるから」

お兄さん「もう知らない人じゃないでしょ」

私「でも・・・5時になったら帰ってきなさいって言われてるから」

私の抵抗に比して、幼なじみはあっさりしたものだった。

お兄さん「××公園なら近いから、そこに行く?」

と彼に提案し、私もその案に妥協した。彼と遊ぶのが楽しいらしい幼なじみを見ていると自分の警戒が的外れなように思えて、ブルマの言い訳同様彼女に従ってしまった。

車には乗らないと私が強情を張ったので、公園まで3人で歩いた。

公園には時計があった。
正確な時間は覚えていないが、4時は回っていた。

しばらくキャッチボールをして遊んでいると、大きなサイレンが鳴った。
消防署のサイレンだ。

私「5時になったから帰らなきゃ。Mちゃんも帰ろうよ」

私は幼なじみに促した。

それなのにお兄さんは、「まだ明るいから平気だよ。それよりもっと広いところに行こう。やっぱり◯◯公園に行かない?」と誘ってくる。

私は刻々と時計の針が5時を過ぎることに落ち着かず、とにかく帰る、と繰り返した。

私「Mちゃん、帰ろう」

Mちゃんが誘拐されたらどうしよう、となんとか一緒に帰るよう幼なじみを口説いた。
幼なじみは迷っているようだった。
同じく門限は5時だったが、お兄さんの誘いも魅力的だったのだろう。
私はこれ以上、母の言いつけを破るのはいやだった。

私「私、帰る!」

帰ろうとしない幼なじみを置いて、私は走って公園を出た。
早く帰らなきゃ、と思う頭の片隅で、幼なじみを置いてきたことが気がかりだった。

家に帰ると、母が夕食を作っていた。

母「おかえりー。だれと遊んできたの?」

私「Mちゃんと」

知らないお兄さんのことは言わなかった。

何日か後、部屋で遊んでいる私のもとに深刻な顔をして母が入ってきた。

母「あんた宮崎さんって知ってる?こんな手紙が入ってたんだけど・・・」

母の手には、折りたたんだルーズリーフが握られていた。

私「あっ!この間、Mちゃんと一緒に遊んだ人だよ」

私はばつの悪い思いをしながら、母に説明した。
母は眉を曇らせながら聞いていた。

母「最近見かけない車がこの辺をうろうろしてたけど、その人だったのかもね。あんた宛にこんな手紙がポストに入ってるから、何があったのかと思った。そういうことはちゃんと言いなさい」

私「ごめんなさい、車に乗らなかったし、5時に帰ってきたから大丈夫だと思って」

母「それはえらかったね。それにしてもMちゃんも無事でよかった」

そう言って、母は幼なじみの家に電話をかけた。
あのあと幼なじみも私のすぐ後に帰り、同じような手紙が入っていたらしい。

大人たちは真剣な面持ちで何度か話し合いをしていた。
家を突き止められた以上また会いに来るかもしれないが、今度こそ大人を呼ぶようにと言い含められ、手紙は母の管理化に置かれた。

ことが大人の手に渡れば、子どもが心配するようなことはないと思った。
私はそれきりそのことを忘れた。

2年後、私は4年生になっていた。
テレビから連日、幼女誘拐殺人事件の報が流れていたある日のことだ。

お風呂上りにテレビを見るともなしに眺めていた。
相変わらず、宮◯勤容疑者が映っていた。
画面の中から、彼の青白い顔がこちらを向いた。

その瞬間、経験したことのない感覚がぞーっと駆け巡った。
冷や水を浴びせられたような、とはあのような感覚を言うのだろう。
あのときはそんな言葉もしらず、混乱して呆然と突っ立っていた。

私「あのときの人だ!」

宮◯勤の顔を見たのはこれが初めてではなく、何度もテレビで目にしていたのに、なぜ今まで気づかなかったのか。

受けた衝撃は言葉にならず、私は黙って自分の部屋へ引っ込んだ。

1人で2年前のお兄さんの顔を思い出そうとしてみるが、はっきりと思い描けない。色の白い、穏やかそうな印象しか覚えていない。

ただ似ているだけの人だろうか。
だが私はさっきの戦慄で確信していた。
あれは宮◯勤だったのだ。

それから、母に一度、幼なじみに一度、話したことがある。
人に言っても信じてもらえないだろうと思っていたから、打ち明けるのに慎重を要した。

私「2年生のときに会ったお兄さんを覚えてる?」

母「あのときの手紙、どこかにまだあるはずだけど。あれが宮◯勤だとしたら、殺されてたのはあんただったかもしれない」

そう言って恐怖を分かち合ってくれた。

幼なじみは、「そうだった?あのお兄さん、山口さんって言ってなかった?」と反論した。

いずれも、2度は話題にしなかった。

私の勘違いならそれでかまわないのだ。
小さかった私に起こった奇妙な出来事と、例の凶悪犯と、接点がないならそれに越したことはない。

普段は忘れているが、ふとした折、4年生の私の体を襲った心底からのショックを思い出す。
あれはなんだったんだろうかと。

あのお兄さんが宮◯勤でないなら、私が受けた感覚はなんだったんだろうかと。