今は亡くなった父方のじいさんから聞いた話。

じいさんは子供の頃から、花見が大好きで、庭の桜が咲くのを楽しみにしていた。
桜が咲くとお母さん(俺の曾祖母)が団子を作ってくれて、家族で花見をするんだけど、当時だからお団子はご馳走で、それも楽しみだったって。

じいさんが8歳くらいの頃、曾祖父が桜の木を切って、柿の木を植えようとしたことがあったのだが、じいさんがとてつもなくわんわん泣いて止めるから、じゃあ、切らずにこのままにしようと言うことになったらしい。

昭和18年の2月、じいさん24歳の時、じいさんは、あと2カ月もすれば桜が咲くと、凄く楽しみにしていたのだが、赤紙が来て出征しなければいけなくなった。

奥さん(俺のばあさんね)にも桜が見れんのは残念だなあってしきりに言ってたんだ。

それが、出征の日、家から出たら、じいさんは仰天した。
2月にも関わらず、桜の花がホンの5、6個だけど咲いていたのね。

「俺のために桜が咲いてくれた」

そう言って、じいさんは涙を流した。
後にも先にもじいさんが泣いたのはこの時だけだったから、ばあさんは凄く驚いたらしい。

そんなことがあったから、戦争が終わってからも、じいさんは桜を大切にした。

もうひとつ驚いたことに、じいさんが亡くなってから2年後、桜は後を追うように枯死したってこと。

今、庭には、枯れた桜から接ぎ木した、二代目の桜が毎年花を咲かせている。