オカルトではないですが、一応「死ぬほど」と「洒落にならない」に合致する経験談です。
高校3年のある日、学校の休憩時間。
「お前らに尾崎豊の気持ちがわかるのかよ!」
教室で突然、叫び声が響いた。
「何にも知らないクセに、お前らなんかに尾崎のなにが分かるってんだよ!!」
声の主はA。
彼は尾崎豊の熱狂的なファンであった。
どうやら周りにいるB、C、Dが尾崎豊の歌や歌詞なんかを茶化したらしい。
高校3年のある日、学校の休憩時間。
「お前らに尾崎豊の気持ちがわかるのかよ!」
教室で突然、叫び声が響いた。
「何にも知らないクセに、お前らなんかに尾崎のなにが分かるってんだよ!!」
声の主はA。
彼は尾崎豊の熱狂的なファンであった。
どうやら周りにいるB、C、Dが尾崎豊の歌や歌詞なんかを茶化したらしい。
普段大人しく、無愛想でもあるAがこの時ばかりは顔を真っ赤にして怒っていた。
そして、Aは3人を見下すように見つめながら吐き捨てるように行った。
A「尾崎のことが分からないなんて、お前らかわいそうなヤツらだな・・・」
Aと私は同級生でクラスも一緒であったが、ほとんど口をきいたことがなかった。
ただ、彼が尾崎豊の熱心なファンであることは、人づてに聞いて知っていた。
ほとんど友人がおらず、いつも教室の自分の席で一人ウォークマンで音楽(たぶん尾崎豊だろう)を聞いていたり、何か本を読んでいた。
そんなヤツだった。
私の通っていた高校は一応地元では名の通った進学校であり、生徒のほとんどは受験勉強に熱心に取り組み、その合間に要領よく部活に打ち込んでおり、いわゆるイジメとかはほとんど見られなかった。
Aについてもかなり変わった生徒であったが、周りの多くは自分のことに精一杯打ち込み、いちいちかまっている連中はいなかった。
たまにこうして冷やかす連中はいたが・・・。
Aは地元の中学ではトップクラスの成績であったという。
確かにAの風貌はどこか秀才君的なイメージがあった。
もっとも、地域の成績のいいやつが集まったなかでは彼は目立たなかった。
一年のころは成績もいいほうだったが、だんだん落ちていった。
そんな彼が、学校でちょっと話題になった事件を起こした。
部活に忙しかった私は当時はぜんぜん知らなかったが・・・。
Eという同級生の女の子に恋をし、告白をしたという。
はじめは同じ進学塾に通っていたよしみで、廊下などですれ違うたびに軽くあいさつする程度の仲だったらしい。
もしかしたらAはこの程度のことでカン違いしたのかも知れない。
ある日、AはEに告白した。
その際、「俺の思いが詰まっている」と言って、尾崎豊の曲の入ったカセットテープを手渡したらしい。
Eは怯えてしまった。
Eはまじめで物静かな、可愛らしい女の子だった。
内気そうなAが好きになりそうなタイプかも知れない。
自分の思いの丈を全て彼女にストレートにぶつければ、彼女もわかってくれる、そんな風に思ってたのかも知れない、尾崎豊風に・・・。
しかし現実はそう自分の意図してた通りに行くわけはない。
完全に怯えきってしまったEは、友人づてにそのテープを返却した。
当時のAのクラスにEの友人である数人の女子(Eを除く。おびえていたから)が押しかけ、「Eは付き合う気、ないってさ」と告げた時、Aはたった今返却されたテープを握り締め、しばらく無言でうつむいて、突然教室から駆け出し、数日間学校へこなかったらしい。
Eのほうも、降りる駅がAと一緒なのを気にして、母親の運転で一つ隣の駅から通学するようになったという。
なぜ、そこまで警戒したのかはわからないが・・・。
話は飛んで高校を卒業後、私はなんとか都内の私大に進学した。
東京は実は生まれて初めてであり、サークルやらバイトやらで結構舞い上がって生活していた。
東京になじんで数年、同じく東京に出てきていた高校時代の友人達と一緒に飲む機会があった。
そこでAの近況を久しぶりに聞かされた。
Aのことなど、その頃はとうに忘れていたのだが・・・。
Aは三浪の末、東京近郊のある私立大に入学したという。
決して成績は悪くなかったはずのAの落ちぶれぶりにちょっと哀れみをおぼえたが、その後に以外なことを聞かされた。
Aはオウム真理教に入信したという。
えっ?・・・Aは尾崎豊のファンだったんじゃなかったか?
Aの実家のほうでは、Aを脱会させようといろいろ手をつくして、大変なことになっているという。
Aの実家はまじめな公務員か銀行員かそんなんだったはずだが・・・。
ただ、当時はオウムは一般にはちょっと風変わりな新興カルトくらいの認識だった。
まだ、例の事件の数々が世間に知れる前であった。
尾崎豊自身はオウムに直接関わりは持っていなかったが、実は尾崎豊のファンとオウムには深いつながりがあった。
後に地下鉄サリン事件が起こるが、その事件の実行部隊の指揮を執った井上嘉浩(いのうえよしひろ)はオウムの諜報大臣の地位にあった人物だが、彼は熱心な尾崎豊のファンであった。
井上は中学時代に尾崎に感銘を受け、尾崎に感化されたような自作の詩を、大学ノートに書き付けたりしていた。
彼は青春の情熱の置き所に迷い、本当の自分をもとめて、ついにオウムにたどり着く。
オウムにはそうした若者が多く集まった。
特に若い信者層には尾崎のファンが多く存在した。
オウムは信者の獲得に尾崎のイメージを積極的に利用したのも、こうした尾崎ファンのオウム信者の存在が大きかったはずだ。
「尾崎豊フィルムライブ」と銘打ったセミナーを開催して尾崎ファンを多数あつめ、そこでオウム入会の勧誘を行う。
現にこの活動のさなか、尾崎豊のポスターを街頭に貼っていた信者が警察のお世話になっている。
尾崎豊のTシャツやパンフを無断で販売し、尾崎サイドの人間から注意をうけたりした。(注意を出した人物はその後、教団の“ポアリスト”に名前が載った)
尾崎豊が死亡したとき、オウムは早速、“アメリカの陰謀”説をとなえ、「尾崎の死について考える」などのセミナーを開いたりした。
こうした経緯で入信していった尾崎豊のファンも少なくなかったという。
そしてついに事件は起こる。
地下鉄サリン事件が起きたとき、私は日比谷線に乗って被害に遭った。
・・・かつて教団総選挙に打って出て、そこで供託金没収レベルの記録的大敗を喫した。
奇妙なパフォーマンスや言動で世間の笑いものになったのだ。
彼らは現実を前に、挫折したのだ。
彼らは自分を正しいと信じ、疑わず、その正しさを皆にわかってもらおうとしたのかもしれない。
尾崎ファンから流れた若い信者層は、もしかしたら本気でそう思っていたのかも知れない。
ちょうど高校時代、AがEに自分のありのままをストレートのぶつければ通じると無邪気に考えていたように。
相手の気持ちも理解しようとせず、独りよがりのキレイゴトを強引に押し通そうとしても無理に決まっている。
多くの場合、相手には拒絶される。
しかし彼らは自分を受け入れない世間の方が悪いと考えたようだ。
現実社会を否定し拒絶した先にあったものは・・・。
現在、地元にはAの家は存在しない。
すでに引っ越してしまったようだ。
Aは今、なにをしているのだろうか?夢は醒めたのだろうか・・・。
そして、Aは3人を見下すように見つめながら吐き捨てるように行った。
A「尾崎のことが分からないなんて、お前らかわいそうなヤツらだな・・・」
Aと私は同級生でクラスも一緒であったが、ほとんど口をきいたことがなかった。
ただ、彼が尾崎豊の熱心なファンであることは、人づてに聞いて知っていた。
ほとんど友人がおらず、いつも教室の自分の席で一人ウォークマンで音楽(たぶん尾崎豊だろう)を聞いていたり、何か本を読んでいた。
そんなヤツだった。
私の通っていた高校は一応地元では名の通った進学校であり、生徒のほとんどは受験勉強に熱心に取り組み、その合間に要領よく部活に打ち込んでおり、いわゆるイジメとかはほとんど見られなかった。
Aについてもかなり変わった生徒であったが、周りの多くは自分のことに精一杯打ち込み、いちいちかまっている連中はいなかった。
たまにこうして冷やかす連中はいたが・・・。
Aは地元の中学ではトップクラスの成績であったという。
確かにAの風貌はどこか秀才君的なイメージがあった。
もっとも、地域の成績のいいやつが集まったなかでは彼は目立たなかった。
一年のころは成績もいいほうだったが、だんだん落ちていった。
そんな彼が、学校でちょっと話題になった事件を起こした。
部活に忙しかった私は当時はぜんぜん知らなかったが・・・。
Eという同級生の女の子に恋をし、告白をしたという。
はじめは同じ進学塾に通っていたよしみで、廊下などですれ違うたびに軽くあいさつする程度の仲だったらしい。
もしかしたらAはこの程度のことでカン違いしたのかも知れない。
ある日、AはEに告白した。
その際、「俺の思いが詰まっている」と言って、尾崎豊の曲の入ったカセットテープを手渡したらしい。
Eは怯えてしまった。
Eはまじめで物静かな、可愛らしい女の子だった。
内気そうなAが好きになりそうなタイプかも知れない。
自分の思いの丈を全て彼女にストレートにぶつければ、彼女もわかってくれる、そんな風に思ってたのかも知れない、尾崎豊風に・・・。
しかし現実はそう自分の意図してた通りに行くわけはない。
完全に怯えきってしまったEは、友人づてにそのテープを返却した。
当時のAのクラスにEの友人である数人の女子(Eを除く。おびえていたから)が押しかけ、「Eは付き合う気、ないってさ」と告げた時、Aはたった今返却されたテープを握り締め、しばらく無言でうつむいて、突然教室から駆け出し、数日間学校へこなかったらしい。
Eのほうも、降りる駅がAと一緒なのを気にして、母親の運転で一つ隣の駅から通学するようになったという。
なぜ、そこまで警戒したのかはわからないが・・・。
話は飛んで高校を卒業後、私はなんとか都内の私大に進学した。
東京は実は生まれて初めてであり、サークルやらバイトやらで結構舞い上がって生活していた。
東京になじんで数年、同じく東京に出てきていた高校時代の友人達と一緒に飲む機会があった。
そこでAの近況を久しぶりに聞かされた。
Aのことなど、その頃はとうに忘れていたのだが・・・。
Aは三浪の末、東京近郊のある私立大に入学したという。
決して成績は悪くなかったはずのAの落ちぶれぶりにちょっと哀れみをおぼえたが、その後に以外なことを聞かされた。
Aはオウム真理教に入信したという。
えっ?・・・Aは尾崎豊のファンだったんじゃなかったか?
Aの実家のほうでは、Aを脱会させようといろいろ手をつくして、大変なことになっているという。
Aの実家はまじめな公務員か銀行員かそんなんだったはずだが・・・。
ただ、当時はオウムは一般にはちょっと風変わりな新興カルトくらいの認識だった。
まだ、例の事件の数々が世間に知れる前であった。
尾崎豊自身はオウムに直接関わりは持っていなかったが、実は尾崎豊のファンとオウムには深いつながりがあった。
後に地下鉄サリン事件が起こるが、その事件の実行部隊の指揮を執った井上嘉浩(いのうえよしひろ)はオウムの諜報大臣の地位にあった人物だが、彼は熱心な尾崎豊のファンであった。
井上は中学時代に尾崎に感銘を受け、尾崎に感化されたような自作の詩を、大学ノートに書き付けたりしていた。
彼は青春の情熱の置き所に迷い、本当の自分をもとめて、ついにオウムにたどり着く。
オウムにはそうした若者が多く集まった。
特に若い信者層には尾崎のファンが多く存在した。
オウムは信者の獲得に尾崎のイメージを積極的に利用したのも、こうした尾崎ファンのオウム信者の存在が大きかったはずだ。
「尾崎豊フィルムライブ」と銘打ったセミナーを開催して尾崎ファンを多数あつめ、そこでオウム入会の勧誘を行う。
現にこの活動のさなか、尾崎豊のポスターを街頭に貼っていた信者が警察のお世話になっている。
尾崎豊のTシャツやパンフを無断で販売し、尾崎サイドの人間から注意をうけたりした。(注意を出した人物はその後、教団の“ポアリスト”に名前が載った)
尾崎豊が死亡したとき、オウムは早速、“アメリカの陰謀”説をとなえ、「尾崎の死について考える」などのセミナーを開いたりした。
こうした経緯で入信していった尾崎豊のファンも少なくなかったという。
そしてついに事件は起こる。
地下鉄サリン事件が起きたとき、私は日比谷線に乗って被害に遭った。
・・・かつて教団総選挙に打って出て、そこで供託金没収レベルの記録的大敗を喫した。
奇妙なパフォーマンスや言動で世間の笑いものになったのだ。
彼らは現実を前に、挫折したのだ。
彼らは自分を正しいと信じ、疑わず、その正しさを皆にわかってもらおうとしたのかもしれない。
尾崎ファンから流れた若い信者層は、もしかしたら本気でそう思っていたのかも知れない。
ちょうど高校時代、AがEに自分のありのままをストレートのぶつければ通じると無邪気に考えていたように。
相手の気持ちも理解しようとせず、独りよがりのキレイゴトを強引に押し通そうとしても無理に決まっている。
多くの場合、相手には拒絶される。
しかし彼らは自分を受け入れない世間の方が悪いと考えたようだ。
現実社会を否定し拒絶した先にあったものは・・・。
現在、地元にはAの家は存在しない。
すでに引っ越してしまったようだ。
Aは今、なにをしているのだろうか?夢は醒めたのだろうか・・・。
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