ハーメルンの笛吹き。

130人の子供が、ピエロみたいなカラフルな服を着た笛吹き男に連れられて失踪。

子供がハーメルンからいなくなった事件自体は史実だけど、詳細は謎のまんま。
いなくなった子供がどうなったか語られていないだけに、不気味で後味が最悪の話。

こっからは俺の妄想を含むんで、軽く聞き流すつもりで頼む。

事件の資料として一番古い、ハーメルン市の記録と教会のステンドグラスから想像する。
ハーメルン市の記録は「我らの子供達が連れ去られてから10年が過ぎた」とある。

ステンドグラスは1284年、聖ヨハネとパウロの記念日、6月の26日。
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、丘の近くの処刑の場所でいなくなった。
教会のステンドグラスっていうのは、作り手が物語性や宗教色を込めて作っているはずだ。

そして真実をありのまま描いては忌まわし過ぎる場合、「検閲」され暗喩として作られるだろう。

「130(13じゃないけど、連想させるよね)人」、「丘」「処刑場」。

連れ去られたとは言うけれど、本当は死んだり、死ぬとわかりきった場所に送り出したのではないのか。

今のところ信憑性が高いと言われる殖民説は、ちょっと違和感を感じる。
殖民として送り出したとしたら、新天地で生きているかもしれない子供たちの比喩にしては「死」のイメージが濃すぎる。

ここから俺は、新手の少年十字軍説を推す。

1284年といえば十字軍も末期、ローマ教皇庁が十字軍がどれほど腐ってるか知るようになってる頃だ。

狂信者(あるいは宗教心に漬け込んで人身売買をもくろむ外道)に煽られて「十字軍」として子供たちが去っていったとしたら。
そして残された大人に、十字軍のクズっぷりを知る者がいたら、子供たちの悲惨な末路を想像できただろう。
だから、扇動(せんどう)した奴はピエロみたいなふざけた格好をしてて、宗教色たっぷりに死のイメージを当てはめた絵になるんだ。

真実をありのままに描けないのは、残された大人の罪の意識だ。

たとえば悲惨さを想像できたのに、止めてやれなかった。
たとえば生活の困窮から、我が子を売ってしまった。
たとえば親まで宗教かぶれで積極的に送ってしまった。

親まで宗教かぶれだった場合は一番悲惨だ。

後になって知識のある人に教えられ、信仰に殉じさせるつもりが、自分の手で我が子を生き地獄に送ってしまったと知ったら。
ありのまま受け入れることも、告白することも耐えられないだろう。

もうひとつ信憑性が高いと言われる「集団での事故死説」。

確かに悲劇かもしれないけれど、忌まわしくないんだ。
暗喩にして真実を伏せなきゃいけない話じゃない。

むしろ「??山の××には近づくな」なんていう教訓を正確に残さなきゃいけない話なんだ。

事故ならこんな物語は残らないだろう。