私が育った場所は今から50年くらい前に急激に宅地化が進んだ新興住宅街でした。
それまでのその町は、農業が主な産業のとても田舎だった町と聞きます。
その町の一角に複雑に入り組んだ道路がありました。
一見格子目になっているのですが、正確な格子目ではなく、長年住んでいる住民でも時々迷うような道でした。
それまでのその町は、農業が主な産業のとても田舎だった町と聞きます。
その町の一角に複雑に入り組んだ道路がありました。
一見格子目になっているのですが、正確な格子目ではなく、長年住んでいる住民でも時々迷うような道でした。
同じような家並みが続き、同じような曲がり角が続くので、夕方など薄暗い時はうっかり間違えてしまうことが多いのです。
新興住宅街が出来てからその一角の呼び名は改まっておりましたが、私が子供の頃はまだ古い呼び名で呼ぶお年寄りがたくさんいました。
『舞々辻(まいまいつじ)』と。
お年寄りの教えてくれたお話によると、戦国時代に敵方が簡単に攻め込んでくることができないようにこのような地形になっている、とのことでした。
舞々辻に寄り添うように小さな神社があり、子供の頃は近所の幼馴染といつもそこで遊んでいました。
夏になれば蝉をとったり、かくれんぼしたり、生えていた大きな柏の木に登って葉をもいで、母に柏餅を作ってもらったりしていました。
神主さんは常にはお見かけしませんでしたが、年に一回のお祭りの時は装束姿の神主さんが必ずいらっしゃいました。
そんな子供時代を送っていた私は、毎夕のように舞々辻にある八百屋さんに豆腐を買いに行くように頼まれて夕暮れ迫る時間に通っていました。
子供の頃の私にとって、夕方の舞々辻は薄暗くなんだか気持ちが悪いような気がしていたので、決して通ることはなく、少し遠回りして大通りに出て八百屋さんに行っていたのですが、その日はどういうわけか舞々辻の道を歩いていました。
朝からの雨で、周囲は薄暗く街頭の明かりも頼りない光線を放っているだけです。
周囲にある民家は家人がいるであろう明かりは漏れているのですが、雨音にかき消されたのか音一つなく陰気な様子でした。
そんな中をびくびくしながら歩いていき、この角を曲がったら八百屋さんだーっと安心して曲がろうとした時、目の前に人の影があることに気が付きました。
「あれ?」と不思議に思いましたが、視界が悪い雨の日のこと。
私がぼんやりと歩いていたせいかなあなんて思いながら、前を歩く人の背中をぼんやりと眺めていました?
前を歩く人?急に違和感が走ります。
雨が降っているのにどうしてあの人は傘をさしていないの?
決して小雨なんて言える降り方ではありません。
道路に打ち付ける雨が脚にまで飛んでくるくらいなのに。
ふと前を歩く人の歩みが止まり、その男とも女ともわからない人がゆっくりとこっちを振り返ろうとしたのがわかりました。
私の本能が警鐘を鳴らします、『見てはだめだ』と。
でも、身体が動きません。
脚がすくんでしまって走り出すこともできません。
その人が身体の向きを完全にこちらに向け、うつむいた顔をあげようとした瞬間、何かに弾かれたように私は走りだしました。
傘も、豆腐を入れてもらう鍋もかなぐり捨てて走り出しました。
もうすぐ八百屋さんだ!そこに行けば大丈夫!
でも、どういうわけか走れども走れども八百屋さんの明かりは見えません。
「なんで?道を間違えた?」
そんなことを考えながら角をいくつも曲がりました。
もう大丈夫だろうか?と走る速度を緩めたその時、ぎゅっと両肩を?まれました。
耳元で女の人の抑えたような笑い声が聞こえます。
「どこに行くの?逃げるところもないのに・・・くくく」
笑い声に震える唇が、私の耳たぶにくっつきそうなくらい近づくのを感じたまさにその時、例の神社が見えました。
いつもは人がいないその社務所には、今日はなぜだが明かりがついています。
気力を振り絞り、両肩の手を振りほどくと神社めがけて再び走りだしました。
もう、追いつかれる・・・その時ぎりぎりで神社の鳥居をくぐり抜けました。
社務所の戸を開けると、中には優しそうなおじさんがいて、安心した私はそのまま意識を失ってしまいました。
その後なにがあったのか、わかりません。
次に気が付いた時は、社務所に中に敷いてもらったお布団の中でした。
心配そうに私の顔を覗き込む両親の後ろに、あの優しそうなおじさんがニコニコと座っていました。
帰りの遅い私を心配した両親が探しに出ようとしたところ、そのおじさんが電話で連絡してくださったそうで、慌てて駆け付けたとのことでした。
その時は普通の洋服を着ていらっしゃったので気が付きませんでしたが、その神社の神主さんでした。
その日は偶々用事があり神社にきていて、降りだした雨が小雨になるのを待って帰ろうとしたところに、私が飛び込んだということです。
「何があったのか、話してごらんなさいな」と、ニコニコ笑顔に誘われて雨の中での出来事を話しました。
始めはニコニコとした笑顔の神主さんでしたが、次第にその表情は厳しい物になっていきます。
そして、私が話し終わるとしばらく目をつぶって何事が考えていらっしゃいましたが、重い口を開けて話してくださったのが以下の内容です。
この舞々辻の名前の由来はいくつかあるが、この神社には次のように伝わっている。
町のお年寄りの話は半分しか正確ではない。
舞々辻で迷子にさせようとしていたのは、人間ではなく亡くなった人の霊である。
ここは戦国の時代それはそれは惨い戦場で、戦には直接関係ないような女子供がたくさん殺された。
その当時からも、そして時代がだいぶ下がってからも、幽霊らしきモノを頻繁に見かけることが続いた。
ある時から、子供が雨の降る日に行方が分からなくなってしまうこと立て続けに起こった。
そのいなくなった多くの子はほとんど行方知れずで、運が良ければ近くの川に死体となって帰ってきた。
あまりにも立て続けにおこるので、町(当時は村)の大人達が相談し、霊を鎮めようと建立したのがこの神社である。
神社に至るまでの道のりを複雑な格子状にしたのは、霊が人を追いかけて悪さをしないように考えられたもので、舞々辻と言う名前は『霊が道に迷ってオロオロとしている様子が舞を舞っているようだから』とのことでした。
その後は神主さんにお祓いをしていただき、神主さんは「この子はもう大丈夫だと思うけど念のため」と両親にも説明し、お守りをくださいました。
その後は特に何事もなく、大人になって結婚して地元を離れる時にはその神社にご挨拶に行ってきました。
でも、大人になった今でも舞々辻は怖いし、雨の降る日は絶対に通らないようにしています。
今でもあの肩を?まれた感触が忘れられないです。
新興住宅街が出来てからその一角の呼び名は改まっておりましたが、私が子供の頃はまだ古い呼び名で呼ぶお年寄りがたくさんいました。
『舞々辻(まいまいつじ)』と。
お年寄りの教えてくれたお話によると、戦国時代に敵方が簡単に攻め込んでくることができないようにこのような地形になっている、とのことでした。
舞々辻に寄り添うように小さな神社があり、子供の頃は近所の幼馴染といつもそこで遊んでいました。
夏になれば蝉をとったり、かくれんぼしたり、生えていた大きな柏の木に登って葉をもいで、母に柏餅を作ってもらったりしていました。
神主さんは常にはお見かけしませんでしたが、年に一回のお祭りの時は装束姿の神主さんが必ずいらっしゃいました。
そんな子供時代を送っていた私は、毎夕のように舞々辻にある八百屋さんに豆腐を買いに行くように頼まれて夕暮れ迫る時間に通っていました。
子供の頃の私にとって、夕方の舞々辻は薄暗くなんだか気持ちが悪いような気がしていたので、決して通ることはなく、少し遠回りして大通りに出て八百屋さんに行っていたのですが、その日はどういうわけか舞々辻の道を歩いていました。
朝からの雨で、周囲は薄暗く街頭の明かりも頼りない光線を放っているだけです。
周囲にある民家は家人がいるであろう明かりは漏れているのですが、雨音にかき消されたのか音一つなく陰気な様子でした。
そんな中をびくびくしながら歩いていき、この角を曲がったら八百屋さんだーっと安心して曲がろうとした時、目の前に人の影があることに気が付きました。
「あれ?」と不思議に思いましたが、視界が悪い雨の日のこと。
私がぼんやりと歩いていたせいかなあなんて思いながら、前を歩く人の背中をぼんやりと眺めていました?
前を歩く人?急に違和感が走ります。
雨が降っているのにどうしてあの人は傘をさしていないの?
決して小雨なんて言える降り方ではありません。
道路に打ち付ける雨が脚にまで飛んでくるくらいなのに。
ふと前を歩く人の歩みが止まり、その男とも女ともわからない人がゆっくりとこっちを振り返ろうとしたのがわかりました。
私の本能が警鐘を鳴らします、『見てはだめだ』と。
でも、身体が動きません。
脚がすくんでしまって走り出すこともできません。
その人が身体の向きを完全にこちらに向け、うつむいた顔をあげようとした瞬間、何かに弾かれたように私は走りだしました。
傘も、豆腐を入れてもらう鍋もかなぐり捨てて走り出しました。
もうすぐ八百屋さんだ!そこに行けば大丈夫!
でも、どういうわけか走れども走れども八百屋さんの明かりは見えません。
「なんで?道を間違えた?」
そんなことを考えながら角をいくつも曲がりました。
もう大丈夫だろうか?と走る速度を緩めたその時、ぎゅっと両肩を?まれました。
耳元で女の人の抑えたような笑い声が聞こえます。
「どこに行くの?逃げるところもないのに・・・くくく」
笑い声に震える唇が、私の耳たぶにくっつきそうなくらい近づくのを感じたまさにその時、例の神社が見えました。
いつもは人がいないその社務所には、今日はなぜだが明かりがついています。
気力を振り絞り、両肩の手を振りほどくと神社めがけて再び走りだしました。
もう、追いつかれる・・・その時ぎりぎりで神社の鳥居をくぐり抜けました。
社務所の戸を開けると、中には優しそうなおじさんがいて、安心した私はそのまま意識を失ってしまいました。
その後なにがあったのか、わかりません。
次に気が付いた時は、社務所に中に敷いてもらったお布団の中でした。
心配そうに私の顔を覗き込む両親の後ろに、あの優しそうなおじさんがニコニコと座っていました。
帰りの遅い私を心配した両親が探しに出ようとしたところ、そのおじさんが電話で連絡してくださったそうで、慌てて駆け付けたとのことでした。
その時は普通の洋服を着ていらっしゃったので気が付きませんでしたが、その神社の神主さんでした。
その日は偶々用事があり神社にきていて、降りだした雨が小雨になるのを待って帰ろうとしたところに、私が飛び込んだということです。
「何があったのか、話してごらんなさいな」と、ニコニコ笑顔に誘われて雨の中での出来事を話しました。
始めはニコニコとした笑顔の神主さんでしたが、次第にその表情は厳しい物になっていきます。
そして、私が話し終わるとしばらく目をつぶって何事が考えていらっしゃいましたが、重い口を開けて話してくださったのが以下の内容です。
この舞々辻の名前の由来はいくつかあるが、この神社には次のように伝わっている。
町のお年寄りの話は半分しか正確ではない。
舞々辻で迷子にさせようとしていたのは、人間ではなく亡くなった人の霊である。
ここは戦国の時代それはそれは惨い戦場で、戦には直接関係ないような女子供がたくさん殺された。
その当時からも、そして時代がだいぶ下がってからも、幽霊らしきモノを頻繁に見かけることが続いた。
ある時から、子供が雨の降る日に行方が分からなくなってしまうこと立て続けに起こった。
そのいなくなった多くの子はほとんど行方知れずで、運が良ければ近くの川に死体となって帰ってきた。
あまりにも立て続けにおこるので、町(当時は村)の大人達が相談し、霊を鎮めようと建立したのがこの神社である。
神社に至るまでの道のりを複雑な格子状にしたのは、霊が人を追いかけて悪さをしないように考えられたもので、舞々辻と言う名前は『霊が道に迷ってオロオロとしている様子が舞を舞っているようだから』とのことでした。
その後は神主さんにお祓いをしていただき、神主さんは「この子はもう大丈夫だと思うけど念のため」と両親にも説明し、お守りをくださいました。
その後は特に何事もなく、大人になって結婚して地元を離れる時にはその神社にご挨拶に行ってきました。
でも、大人になった今でも舞々辻は怖いし、雨の降る日は絶対に通らないようにしています。
今でもあの肩を?まれた感触が忘れられないです。
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