医務科壕という、傷病者を治療するための壕に案内された時のことです。

入り口にポトスが自生する、一見のほほんとした場所なのですが、硫黄島戦では、足の踏み場もないほどに傷病者が寝かされ、本土からの援助も絶え、満足な治療も受けられず亡くなっていった方が多かったそうです。

医務科壕は天井が比較的高めでT字型に掘られており、他の塹壕よりも少し開放的な雰囲気がありました。(他の塹壕のほとんどは地中に掘られており、地熱でサウナ状態です)

「ここから雨水を取り、ドラム缶に貯めていた」などの説明を受けていた時、足元の方から、苦しいような、熱いような、閉塞的な感覚が伝わってきました。

私「ここ、地下があった、なんてこと、ないですよね?」

試しに尋ねてみたところ、説明係の海曹がぎょっとした顔で「地下があったらしいと聞いています」と。

・・・下に降りる階段が見つからないのだそうです。
今も。

他の壕では『平成◯年◯月、調査ここまで』と書かれた紙が貼られていて、その先が落盤している場所などを目にしました。

遺骨収拾も、まだまだ進まないようです。