私が中学生だった頃の話だ。
八月中旬、学校は夏休み。
身体の弱い母が検査入院という形で幾日か家を空けることになり、加えて消防署に務めている父の仕事の都合もあって、数日の間、私一人で母方の祖母の家に泊まりに行くことになった。
別に一人で留守番していても良かったのだが、事情を知った祖母が電話の向こうからこっちに来いとうるさいのと、行けば面倒くさい家事をしなくても良い、という事実につられて、行くことにした。
祖母の家までは電車で一時間半ほど。
県境の山奥へと線路は谷間を縫うように進み、駅に着いたのは正午前だった。
冷房の効いた車内から、ホームに降り立つ。
ドアが開いた瞬間、むっとした外気と緑の匂いがまとわりついてきた。
八月中旬、学校は夏休み。
身体の弱い母が検査入院という形で幾日か家を空けることになり、加えて消防署に務めている父の仕事の都合もあって、数日の間、私一人で母方の祖母の家に泊まりに行くことになった。
別に一人で留守番していても良かったのだが、事情を知った祖母が電話の向こうからこっちに来いとうるさいのと、行けば面倒くさい家事をしなくても良い、という事実につられて、行くことにした。
祖母の家までは電車で一時間半ほど。
県境の山奥へと線路は谷間を縫うように進み、駅に着いたのは正午前だった。
冷房の効いた車内から、ホームに降り立つ。
ドアが開いた瞬間、むっとした外気と緑の匂いがまとわりついてきた。
周囲は勾配のきつい山とその谷底を流れる川と青い空と青い茶畑が大部分、あとは国道沿いにぽつりぽつりと家が建っている。
随分昔、いくつかの小さな集落が集まって出来た、それでもやはり小さな町。
ここが祖母の住む町であり、私の母の生まれ故郷でもある。
正月から数えて数か月ぶりの訪問だったが、一人で来たのはいつ以来だっただろうか。
幼いころには、こういったことがもっと頻繁にあったように思う。
駅から坂道を下り、川に掛かった沈下橋を渡る。
日差しは肌を射すようで、あちらこちらから聞こえるセミの鳴き声がやかましい。
橋のちょうど真ん中あたりで立ち止まり、欄干も無い石橋の縁から下を覗き込んでみる。
水は澄んでいて、川底まではっきりと見通せた。
しばらくじっと川を見やる。
町と同じ名前であるこの川は、水が綺麗なことで知られる県下でも有数の清流だった。
そうして私が泳ぎを覚え、生まれて初めて溺れた川でもある。
よくは覚えていないのだが、幼い私は、まだ満足に泳げないくせに深みに入ってしまい、溺れているところを傍に居た祖父に引き上げられたそうだ。
その後、河原でひとしきり泣いた私は、呑んでしまった分の水を両目から出し切ると、またけろりとして水に入って行ったという。
こうして聞くと完全に阿呆だが、祖父はそんな孫の行動を、「俺の血じゃ」と言ってえらく喜んでいたらしい。
川に遊びに行く際、私のお守り役はいつも祖父だった。
当時の記憶は飛び飛びの途切れ途切れだが、河原から孫を見守るだけで泳ぎも釣りもしない祖父に対し、一緒に遊んでくれればいいのに、と少々不満だったことは覚えている。
昼食を食べたらひと泳ぎしようか。
青々とした流れを横目に私はまた歩き出した。
祖父母の家は、橋を渡って川沿いの坂道を少し上った場所に建っている。
一見木造の平屋だが、よくよく近づいてみていると実は二階建てで、何だか普通の二階建ての日本家屋を、大きな掌で上から押しつぶしたような、少々不格好な家だ。
祖母は、家から道路を挟んだ斜面に沿った畑で、何やら作業をしていた。
どうやら畑周りの雑草を刈っているようだ。
私「おーい、ばあちゃん」
呼ぶと、彼女は腰を曲げたまま顔だけこちらに向けた。
日差しから首筋まで守れる農作業用の帽子をちょいと上げ数秒、ようやく私だと分かったようだった。
祖母「おーおー、来たかよ」
言いながら、祖母は鎌と器用に束ねたカヤの束を両手に、もはや斜面というより崖に近い段々畑を軽々と降りてきた。
歳は七十に近いはずだが、足腰はまだまだ達者なようだ。
祖母「時間を言うたら駅まで迎えに行ったんに」
少々口惜しそうに祖母は言った。
そういえば、小さい頃ここに来たときには、必ず祖父母そろってホームで待っていたことを思い出す。
もちろん二人とも入場券など買わず、改札は顔パスだ。
良くも悪くもこの町は狭く、住む人々の結びつきは強い。
私「そんなんいいって。それより、腹減ってるんだけど」
祖母「おうおう、もうそんな時間かよ。そうしたら急いで作るきよ、先におじいちゃんに挨拶しとき」
私「それ、後じゃいかんの?」
祖母「あこぎなこと言うとらんと、さっさと会うて来んさい」
親子だから当然なのだが、こういった物言いは母とそっくりだ。
足腰だけじゃなく、まだまだ口も達者らしい。
玄関に荷物だけ置き、そのまま家の裏手に回る。
先祖の骨が収められている納骨堂は、河原へと降りる道の傍にあった。
お堂の周囲には、古い墓石がいくつか並べてある。
もともとはすぐそばの山を少し上がったところに墓地があったのだが、管理しやすいようにと、祖父の死の際に骨と墓石を降ろしたのだった。
墓前に立つ。
祖父が死んだのは、私が小学校低学年だった頃のことだ。
突然畑で倒れ、病院に運ばれた時には医者も呆れる程全身癌だらけだったらしい。
それから一ヶ月もしないうちに祖父は亡くなった。
入院中、痛いとも辛いとも、泣き言や弱音は一切吐かなかったそうだ。
祖父の入院中、一度だけ私は父と二人で見舞いに行った。
しばらく見ない間に、祖父は随分と痩せてしまっていた。
祖父はベッドに横たわったまま、私を傍に呼ぶと、自分の子供時代のことを語り始めた。
それはもっぱら川についての話だった。
生まれ育った故郷を流れる川。
私が泳ぎを覚えたように、祖父もこの川で泳ぎを覚え、モリ突きを覚え、投網のやり方を覚えた。
当時の川がどれほど綺麗だったか、どれだけ多くの魚が居たか、どのくらいの水量があったか、祖父は語った。
ただ、それらはすでに何度も聞いたことのある話で、退屈を持て余した私は、祖父の話よりも病室内の観察ばかりしていた。
しばらくすると、語りつかれたのか祖父は寝息を立て始め、病室から出た私は脳天に父の無言の拳骨を食らった。
それから幾日か過ぎた後、祖父は死んだ。
その日はひどい雨で、最後の言葉は、「川の様子を見てくる」だったそうだ。
手を合わしながら、私は、そんなことを思い出していた。
墓参りが済むと、祖母と二人で昼食をとった。
御たぶんに漏れず、「もっと食いんさい」が口癖の祖母であるが、大皿いっぱいの芋の天ぷらには正直まいった。
祖母「そのくらげ君っていうあだ名は、あんたが付けたんかよ」
私「そう。小学六年の時からそう呼んでる」
二人で山盛りの料理をつつきながら、話題は私の同級生である一人の友人についてだった。
私にはくらげという友人が居る。
もちろん、あだ名だ。
くらげは所謂、『自称、見えるヒト』だ。
例えば、彼の自宅の風呂には“くらげ”が湧くらしい。
だから、くらげ。
また、彼はそうした自身の特徴について、「僕は病気だから」と言う。
見えてしまう病気。
しかもそれは、稀に他人に感染ることがあるとも。
ただ、私が祖母に話した事柄は、自分にはくらげというあだ名の一風変わった友人が居て、彼には一般的に幽霊の呼ばれるようなものが見えるらしい、ということだけだ。
しかしなぜか、祖母はそのくらげ君のことがいたく気に入ってしまったらしい。
祖母「今度うちに連れて来んさい」
祖母が言った。
最初は軽い冗談かと思ったが、それから何度も、「会ってみたい」や、「連れて来い」を繰り返すのを見ると、どうやら本気らしかった。
私「あのさ・・・、誰が好き好んで他人のばあちゃんちに行きたいと思うんだよ」
祖母「そんなもん聞いてみんと分からん。来たい言うかもしれん」
祖母は、なぜか自信満々だった。
私「大体さ、なんて言って呼ぶんだよ」
祖母「『家の前の川に死んだおじいちゃんが出るらしいから、見てくれんか』って言うたらええが」
どうやら私の言葉を予想していたようで、祖母は間髪入れずに答えた。
そうきたか。
亡くなったはずの祖父を川で見た、という話が出てきたのは、祖父の葬式が済んでから半年ほど経った頃のことだったそうだ。
最初に目撃したのは、同じ集落に住むご近所さんで、朝の散歩の途中、川に架かる沈下橋を渡っている際に見たのだという。
なんでも死んだはずの祖父が上半身裸で腰まで川に浸かり、モリで魚を突いていたのだとか。
それからというもの、同じように祖父の姿を川で見た、という人間はじょじょに増えていった。
祖父が出る場所は、きまって家の裏手を振りたところの川だった。
泳いでいたり、縁に立ってただ川を眺めていたり、投網をしていたりと、バリエーションは様々で、時には複数人が同時に見たということもあったらしい。
ただそんな中、祖母自身はまだそうした夫の姿を見てはいない。
が、だからといって、信じていないわけでもないらしい。
しかし、もし祖父の霊が居ると仮定して、くらげに見てもらって、その後どうするつもりなのだろうか。
私「・・・あいつ、たぶんお祓いとかは出来んと思うけど」
私が呟くと、彼女は一瞬きょとんとした表情になって、それから小さく噴き出した。
祖母「別に、そんな気はないけんど」
そうして祖母は、その顔に、まるでいたずらっ子のような笑みを浮かべ・・・。
「ただ単に、見てもらいたいんよ」
そう言って、芋の天ぷらを一口、旨そうに齧った。
昼食が終わると、私は膨らんだ腹と釣り具をひっさげ家の裏手の川へと向かった。
納骨堂の横を通り過ぎ、河原へと続く階段を下る。
空は青く雲は白く日差しは依然ぎらりとしている。
そこら中に葦やカヤやイタドリといった背の高い草、河原には大きさの様々な石がごろごろしており、その向こうには深い青色をした水の塊がころころ流れている。
川岸にて、大きな一枚岩の上に釣り具とサンダルを放り出す。
そうして私は助走をつけて走り出し、服のまま川に跳び込んだ。
小魚が数匹、いきなり現れた私に驚き茶色く苔むした岩の下へと逃げていく。
水はきんと冷えていて、実に気持ちが良かった。
水中は、ゴーグル等をつけなくてもかなり遠くまで見通せる。
昔に比べて足の届く範囲は広がったが、それでも一番深いところでは三メートル弱ほどの水深があり、流れもある。
一人で遊ぶには十分な空間だった。
しばらく好き勝手に泳ぎ回り、気が済んだところで河原に上がった。
釣竿を置いた岩の縁、微かに丸く窪んでいる箇所に腰を降ろす。
跳び込んだ際に冷たい水が気持ちよかったように、今は照りつける日差しが心地いい。
少しの間、釣竿も手に取らず、足をぶらぶらさせながら、ただぼんやりと目の前の川を眺めた。
幼い頃、祖父も同じようにこの場所に座り、川で遊ぶ私の姿を眺めていた。
私の記憶の中では、釣りも突きもせず、決して川に入ろうとしなかった祖父だが、若いころは一年中毎日のように川に関わっていたそうだ。
聞くところによると、モリ突きの腕は確かだったようで、息が長く、一度の潜水で五匹のアユを突いてきたこともあったという。
投網も上手く、台風で憎水した日でも漁をしに川へ行き、祖母や母を心底心配かつ呆れさせたこともあったらしい。
夏も始まらないうちから泳ぎ始め、秋になり、見ている方が寒くなってくる時期でも平然と川に入って行ったそうだ。
私がそうした祖父の姿を知ったのは、亡くなった後のことだった。
その時、ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がして、私は辺りを見回した。
近くに人の姿は無い。
聞き違いだろうか?と思った瞬間、クラクションの音と共に今度ははっきりと誰かが私を呼んだ。
見ると、流れの上流、午前中に渡って来た沈下橋の上に一台の軽トラックが止まっていた。
材木を運んでいるらしく、荷台の尻から丸太が付き出ている。
運転席に居るのは、白いタオルを頭に巻いた若い兄ちゃんだ。
開けた窓からこちらに片手を上げている。
私が手を振りかえすと、彼は橋の袂にトラックを止め河原に降りてきた。
イチ兄「おー、こっち来とったんか」
私「イチ兄、久しぶり」
イチ兄は私の又従兄弟にあたる人物だ。
歳は十ほど離れているが、なぜかうちの父とウマが合うようで、私も幼い頃からよく遊んでもらっていた。
高校を卒業してから山師として働いていたが、数年前に辞め今はこの町で農業をしている。
イチ兄「一人で来たんかよ?」
私「うんそう。二、三日泊まってくつもり」
それからお互い近況報告のような会話を少し続けた後。
橋の方を振り返りながら、イチ兄が言った。
イチ兄「いやー、最近この辺りで泳ぐ奴とか滅多におらんからよ。またお前んとこのじいさんが出てきたんかと思ったわ」
それについては、つい先程の祖母と話したこともあって、私は二割増しほど驚いた。
私「イチ兄、見たことあんの?」
イチ兄「ん。一回こっきりやけどな。お前を見つけたように、向こうの橋の上からよ。俺が見た時には、モリ片手にそのへんを泳いどったな」
イチ兄がそれを見たのは、去年の夏のことだったらしい。
私「見間違いとか、人違いじゃなくて?」
イチ兄は、私の無遠慮な質問にもあっけらかんとしたもので、「あー、そう言われると何とも言えんなぁ」と、頭頂部あたりを指で掻きながら言った。
イチ兄「けんど、この辺りでモリ突きやるのは、あのじいさんくらいやったしなぁ。・・・しっかしまあ確かにな。あれがお前んとこのじいさんやったら、死人のくせにえらい活き活きと泳ぎよったもんだ。こう腰にアユ何匹もぶら下げてな」
そうしてイチ兄はからからと笑いながら、ふと川の方を見やった。
釣られるように、私もつい先ほど泳ぎ回った水の流れに目をやる。
イチ兄「・・・まあ、心残りもあったんやろうな。あのじいさんも色々あったしよ」
イチ兄の視線が川を上流に辿っていく。
この川の上流にダムが出来たのは、三十年以上昔、この町がまだいくつかの小さな集落に分かれていた頃のことだったそうだ。
ダムの着工に当たる際、電力会社は地元の地理や人間関係に明るい人物をほしがった。
そうして白羽の矢が立てられたのが、祖父だった。
祖父は当初、ダムの設置には反対していたそうだ。
ただ、着工が決まってからは一言も口を挟まず、電力会社の求めにも、周囲の人間が意外に思う程あっさりと首を縦に振ったという。
ただその日以来、祖父は川に入ることをしなくなり、魚も一切捕らなくなった。
イチ兄「お前のじいさんから聞いたけどよ、昔、ここの辺りは流れが早すぎて、川底に苔もつかんかったらしいからな。今は、水も魚も随分減ったとよ」
その話は私もよく聞かされた。
晴れた日には、太陽の光が川底に反射して、赤や緑や白といった色の石がきらりきらりと輝くのだ。
当時の川は、まるでビードロを溶かしたようだった、と、病室で私の頭をなでつつ、祖父は言った。
ろくに話は聞いていなかったが、その言葉だけはよく覚えている。
私の知らない、祖父の記憶の中にある川。
イチ兄「お前のじいさん見た時な」
イチ兄が言った。
イチ兄「そん時だけよ、川がえらい澄んで見えたわ」
私はその髭面を見上げる。
イチ兄は、強烈な陽の光に目を細めながら、ダムのある方角を見やっていた。
目の前の川に視線を戻す。
私が初めて泳ぎ、溺れた川。
私「今でも十分キレイと思うけどなー・・・」
呟くと、隣でイチ兄がからからと笑った。
それからしばらく話をして、イチ兄は畑に杭をたてる仕事があるということで、車に戻って行った。
イチ兄「二、三日泊まってくなら一度くらい飯食いに来な。嫁さんもチビすけも喜ぶけぇよ」
車の中から、イチ兄はそんなことを言った。
彼はつい近年結婚し、子供も生まれたばかりだった。
トマトのような頬をした女の子で、一度抱っこしてみろと押し付けられた時に大泣きをされ、皆に笑われた苦い思い出がある。
私「あー、気が向いたら、行く」
私がそう返事をすると、イチ兄が笑って片手を上げた。
軽トラは緩やかな坂道を上りすぐ見えなくなった。
その後、私は持ってきた道具を広げ、釣りを始めた。
二時間ほど粘ったが釣果は芳しくなく、釣れたのは痩せたアメゴが一匹だけだった。
そういえば、祖父は突きも投網もやったが、釣りだけはしなかったそうだ。
そう話してくれたのは祖母で、理由を訊くと、「あの人にゃあ、川に入ってばちゃばちゃやる方が性にあっちょったんよ」と、可笑しそうに笑っていた。
今日はこれ以上続けても無駄だろう。
服もすっかり乾き、大分腹もこなれてきた私は、一匹だけアメゴの入ったバケツを手に祖母の家に戻ることにした。
そうして、河原から家へと続く階段を上ろうとした時だった。
背後からまた誰かに名前を呼ばれた気がして、私は振り返った。
そこには誰もおらず、ただ同じように川が流れていた。
もう一度名前を呼ばれた。
見上げると、階段を上りきったところに祖母が居て、私が上ってくるのを待っているようだった。
私はもう一度だけ後ろを振り返り、それが確かに気のせいだったことを確認してから、再び石段を上りだした。
祖母「じいさんはおったかよ」
途中、上から祖母が言った。
私は首を横に振って、「おらーん」と答える。
そうしながら、ふと、もしくらげを連れて来たとしたら彼には見えるのだろうか、と、そんな想像が頭をよぎった。
イチ兄が見たという祖父の姿。
そうして、まるでビー玉を溶かしたようだという、祖父の川。
気が付くと、いたずらっ子のような笑みを浮かべた祖母が、私を見やっていた。
私「なんだよ」
すると彼女は、まるで私の考えなどお見通しだでもというように、こう言った。
祖母「次はくらげ君と来んさい」
私は祖母を見やり、手のバケツを見やり、その中のアメゴを見やり、息を吐いた。
私「・・・気が向いたらなー」
祖母が笑った。
そうして、「じいさん聞いたかよー」と、私の背後に向かって大きな声を響かせた。
随分昔、いくつかの小さな集落が集まって出来た、それでもやはり小さな町。
ここが祖母の住む町であり、私の母の生まれ故郷でもある。
正月から数えて数か月ぶりの訪問だったが、一人で来たのはいつ以来だっただろうか。
幼いころには、こういったことがもっと頻繁にあったように思う。
駅から坂道を下り、川に掛かった沈下橋を渡る。
日差しは肌を射すようで、あちらこちらから聞こえるセミの鳴き声がやかましい。
橋のちょうど真ん中あたりで立ち止まり、欄干も無い石橋の縁から下を覗き込んでみる。
水は澄んでいて、川底まではっきりと見通せた。
しばらくじっと川を見やる。
町と同じ名前であるこの川は、水が綺麗なことで知られる県下でも有数の清流だった。
そうして私が泳ぎを覚え、生まれて初めて溺れた川でもある。
よくは覚えていないのだが、幼い私は、まだ満足に泳げないくせに深みに入ってしまい、溺れているところを傍に居た祖父に引き上げられたそうだ。
その後、河原でひとしきり泣いた私は、呑んでしまった分の水を両目から出し切ると、またけろりとして水に入って行ったという。
こうして聞くと完全に阿呆だが、祖父はそんな孫の行動を、「俺の血じゃ」と言ってえらく喜んでいたらしい。
川に遊びに行く際、私のお守り役はいつも祖父だった。
当時の記憶は飛び飛びの途切れ途切れだが、河原から孫を見守るだけで泳ぎも釣りもしない祖父に対し、一緒に遊んでくれればいいのに、と少々不満だったことは覚えている。
昼食を食べたらひと泳ぎしようか。
青々とした流れを横目に私はまた歩き出した。
祖父母の家は、橋を渡って川沿いの坂道を少し上った場所に建っている。
一見木造の平屋だが、よくよく近づいてみていると実は二階建てで、何だか普通の二階建ての日本家屋を、大きな掌で上から押しつぶしたような、少々不格好な家だ。
祖母は、家から道路を挟んだ斜面に沿った畑で、何やら作業をしていた。
どうやら畑周りの雑草を刈っているようだ。
私「おーい、ばあちゃん」
呼ぶと、彼女は腰を曲げたまま顔だけこちらに向けた。
日差しから首筋まで守れる農作業用の帽子をちょいと上げ数秒、ようやく私だと分かったようだった。
祖母「おーおー、来たかよ」
言いながら、祖母は鎌と器用に束ねたカヤの束を両手に、もはや斜面というより崖に近い段々畑を軽々と降りてきた。
歳は七十に近いはずだが、足腰はまだまだ達者なようだ。
祖母「時間を言うたら駅まで迎えに行ったんに」
少々口惜しそうに祖母は言った。
そういえば、小さい頃ここに来たときには、必ず祖父母そろってホームで待っていたことを思い出す。
もちろん二人とも入場券など買わず、改札は顔パスだ。
良くも悪くもこの町は狭く、住む人々の結びつきは強い。
私「そんなんいいって。それより、腹減ってるんだけど」
祖母「おうおう、もうそんな時間かよ。そうしたら急いで作るきよ、先におじいちゃんに挨拶しとき」
私「それ、後じゃいかんの?」
祖母「あこぎなこと言うとらんと、さっさと会うて来んさい」
親子だから当然なのだが、こういった物言いは母とそっくりだ。
足腰だけじゃなく、まだまだ口も達者らしい。
玄関に荷物だけ置き、そのまま家の裏手に回る。
先祖の骨が収められている納骨堂は、河原へと降りる道の傍にあった。
お堂の周囲には、古い墓石がいくつか並べてある。
もともとはすぐそばの山を少し上がったところに墓地があったのだが、管理しやすいようにと、祖父の死の際に骨と墓石を降ろしたのだった。
墓前に立つ。
祖父が死んだのは、私が小学校低学年だった頃のことだ。
突然畑で倒れ、病院に運ばれた時には医者も呆れる程全身癌だらけだったらしい。
それから一ヶ月もしないうちに祖父は亡くなった。
入院中、痛いとも辛いとも、泣き言や弱音は一切吐かなかったそうだ。
祖父の入院中、一度だけ私は父と二人で見舞いに行った。
しばらく見ない間に、祖父は随分と痩せてしまっていた。
祖父はベッドに横たわったまま、私を傍に呼ぶと、自分の子供時代のことを語り始めた。
それはもっぱら川についての話だった。
生まれ育った故郷を流れる川。
私が泳ぎを覚えたように、祖父もこの川で泳ぎを覚え、モリ突きを覚え、投網のやり方を覚えた。
当時の川がどれほど綺麗だったか、どれだけ多くの魚が居たか、どのくらいの水量があったか、祖父は語った。
ただ、それらはすでに何度も聞いたことのある話で、退屈を持て余した私は、祖父の話よりも病室内の観察ばかりしていた。
しばらくすると、語りつかれたのか祖父は寝息を立て始め、病室から出た私は脳天に父の無言の拳骨を食らった。
それから幾日か過ぎた後、祖父は死んだ。
その日はひどい雨で、最後の言葉は、「川の様子を見てくる」だったそうだ。
手を合わしながら、私は、そんなことを思い出していた。
墓参りが済むと、祖母と二人で昼食をとった。
御たぶんに漏れず、「もっと食いんさい」が口癖の祖母であるが、大皿いっぱいの芋の天ぷらには正直まいった。
祖母「そのくらげ君っていうあだ名は、あんたが付けたんかよ」
私「そう。小学六年の時からそう呼んでる」
二人で山盛りの料理をつつきながら、話題は私の同級生である一人の友人についてだった。
私にはくらげという友人が居る。
もちろん、あだ名だ。
くらげは所謂、『自称、見えるヒト』だ。
例えば、彼の自宅の風呂には“くらげ”が湧くらしい。
だから、くらげ。
また、彼はそうした自身の特徴について、「僕は病気だから」と言う。
見えてしまう病気。
しかもそれは、稀に他人に感染ることがあるとも。
ただ、私が祖母に話した事柄は、自分にはくらげというあだ名の一風変わった友人が居て、彼には一般的に幽霊の呼ばれるようなものが見えるらしい、ということだけだ。
しかしなぜか、祖母はそのくらげ君のことがいたく気に入ってしまったらしい。
祖母「今度うちに連れて来んさい」
祖母が言った。
最初は軽い冗談かと思ったが、それから何度も、「会ってみたい」や、「連れて来い」を繰り返すのを見ると、どうやら本気らしかった。
私「あのさ・・・、誰が好き好んで他人のばあちゃんちに行きたいと思うんだよ」
祖母「そんなもん聞いてみんと分からん。来たい言うかもしれん」
祖母は、なぜか自信満々だった。
私「大体さ、なんて言って呼ぶんだよ」
祖母「『家の前の川に死んだおじいちゃんが出るらしいから、見てくれんか』って言うたらええが」
どうやら私の言葉を予想していたようで、祖母は間髪入れずに答えた。
そうきたか。
亡くなったはずの祖父を川で見た、という話が出てきたのは、祖父の葬式が済んでから半年ほど経った頃のことだったそうだ。
最初に目撃したのは、同じ集落に住むご近所さんで、朝の散歩の途中、川に架かる沈下橋を渡っている際に見たのだという。
なんでも死んだはずの祖父が上半身裸で腰まで川に浸かり、モリで魚を突いていたのだとか。
それからというもの、同じように祖父の姿を川で見た、という人間はじょじょに増えていった。
祖父が出る場所は、きまって家の裏手を振りたところの川だった。
泳いでいたり、縁に立ってただ川を眺めていたり、投網をしていたりと、バリエーションは様々で、時には複数人が同時に見たということもあったらしい。
ただそんな中、祖母自身はまだそうした夫の姿を見てはいない。
が、だからといって、信じていないわけでもないらしい。
しかし、もし祖父の霊が居ると仮定して、くらげに見てもらって、その後どうするつもりなのだろうか。
私「・・・あいつ、たぶんお祓いとかは出来んと思うけど」
私が呟くと、彼女は一瞬きょとんとした表情になって、それから小さく噴き出した。
祖母「別に、そんな気はないけんど」
そうして祖母は、その顔に、まるでいたずらっ子のような笑みを浮かべ・・・。
「ただ単に、見てもらいたいんよ」
そう言って、芋の天ぷらを一口、旨そうに齧った。
昼食が終わると、私は膨らんだ腹と釣り具をひっさげ家の裏手の川へと向かった。
納骨堂の横を通り過ぎ、河原へと続く階段を下る。
空は青く雲は白く日差しは依然ぎらりとしている。
そこら中に葦やカヤやイタドリといった背の高い草、河原には大きさの様々な石がごろごろしており、その向こうには深い青色をした水の塊がころころ流れている。
川岸にて、大きな一枚岩の上に釣り具とサンダルを放り出す。
そうして私は助走をつけて走り出し、服のまま川に跳び込んだ。
小魚が数匹、いきなり現れた私に驚き茶色く苔むした岩の下へと逃げていく。
水はきんと冷えていて、実に気持ちが良かった。
水中は、ゴーグル等をつけなくてもかなり遠くまで見通せる。
昔に比べて足の届く範囲は広がったが、それでも一番深いところでは三メートル弱ほどの水深があり、流れもある。
一人で遊ぶには十分な空間だった。
しばらく好き勝手に泳ぎ回り、気が済んだところで河原に上がった。
釣竿を置いた岩の縁、微かに丸く窪んでいる箇所に腰を降ろす。
跳び込んだ際に冷たい水が気持ちよかったように、今は照りつける日差しが心地いい。
少しの間、釣竿も手に取らず、足をぶらぶらさせながら、ただぼんやりと目の前の川を眺めた。
幼い頃、祖父も同じようにこの場所に座り、川で遊ぶ私の姿を眺めていた。
私の記憶の中では、釣りも突きもせず、決して川に入ろうとしなかった祖父だが、若いころは一年中毎日のように川に関わっていたそうだ。
聞くところによると、モリ突きの腕は確かだったようで、息が長く、一度の潜水で五匹のアユを突いてきたこともあったという。
投網も上手く、台風で憎水した日でも漁をしに川へ行き、祖母や母を心底心配かつ呆れさせたこともあったらしい。
夏も始まらないうちから泳ぎ始め、秋になり、見ている方が寒くなってくる時期でも平然と川に入って行ったそうだ。
私がそうした祖父の姿を知ったのは、亡くなった後のことだった。
その時、ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がして、私は辺りを見回した。
近くに人の姿は無い。
聞き違いだろうか?と思った瞬間、クラクションの音と共に今度ははっきりと誰かが私を呼んだ。
見ると、流れの上流、午前中に渡って来た沈下橋の上に一台の軽トラックが止まっていた。
材木を運んでいるらしく、荷台の尻から丸太が付き出ている。
運転席に居るのは、白いタオルを頭に巻いた若い兄ちゃんだ。
開けた窓からこちらに片手を上げている。
私が手を振りかえすと、彼は橋の袂にトラックを止め河原に降りてきた。
イチ兄「おー、こっち来とったんか」
私「イチ兄、久しぶり」
イチ兄は私の又従兄弟にあたる人物だ。
歳は十ほど離れているが、なぜかうちの父とウマが合うようで、私も幼い頃からよく遊んでもらっていた。
高校を卒業してから山師として働いていたが、数年前に辞め今はこの町で農業をしている。
イチ兄「一人で来たんかよ?」
私「うんそう。二、三日泊まってくつもり」
それからお互い近況報告のような会話を少し続けた後。
橋の方を振り返りながら、イチ兄が言った。
イチ兄「いやー、最近この辺りで泳ぐ奴とか滅多におらんからよ。またお前んとこのじいさんが出てきたんかと思ったわ」
それについては、つい先程の祖母と話したこともあって、私は二割増しほど驚いた。
私「イチ兄、見たことあんの?」
イチ兄「ん。一回こっきりやけどな。お前を見つけたように、向こうの橋の上からよ。俺が見た時には、モリ片手にそのへんを泳いどったな」
イチ兄がそれを見たのは、去年の夏のことだったらしい。
私「見間違いとか、人違いじゃなくて?」
イチ兄は、私の無遠慮な質問にもあっけらかんとしたもので、「あー、そう言われると何とも言えんなぁ」と、頭頂部あたりを指で掻きながら言った。
イチ兄「けんど、この辺りでモリ突きやるのは、あのじいさんくらいやったしなぁ。・・・しっかしまあ確かにな。あれがお前んとこのじいさんやったら、死人のくせにえらい活き活きと泳ぎよったもんだ。こう腰にアユ何匹もぶら下げてな」
そうしてイチ兄はからからと笑いながら、ふと川の方を見やった。
釣られるように、私もつい先ほど泳ぎ回った水の流れに目をやる。
イチ兄「・・・まあ、心残りもあったんやろうな。あのじいさんも色々あったしよ」
イチ兄の視線が川を上流に辿っていく。
この川の上流にダムが出来たのは、三十年以上昔、この町がまだいくつかの小さな集落に分かれていた頃のことだったそうだ。
ダムの着工に当たる際、電力会社は地元の地理や人間関係に明るい人物をほしがった。
そうして白羽の矢が立てられたのが、祖父だった。
祖父は当初、ダムの設置には反対していたそうだ。
ただ、着工が決まってからは一言も口を挟まず、電力会社の求めにも、周囲の人間が意外に思う程あっさりと首を縦に振ったという。
ただその日以来、祖父は川に入ることをしなくなり、魚も一切捕らなくなった。
イチ兄「お前のじいさんから聞いたけどよ、昔、ここの辺りは流れが早すぎて、川底に苔もつかんかったらしいからな。今は、水も魚も随分減ったとよ」
その話は私もよく聞かされた。
晴れた日には、太陽の光が川底に反射して、赤や緑や白といった色の石がきらりきらりと輝くのだ。
当時の川は、まるでビードロを溶かしたようだった、と、病室で私の頭をなでつつ、祖父は言った。
ろくに話は聞いていなかったが、その言葉だけはよく覚えている。
私の知らない、祖父の記憶の中にある川。
イチ兄「お前のじいさん見た時な」
イチ兄が言った。
イチ兄「そん時だけよ、川がえらい澄んで見えたわ」
私はその髭面を見上げる。
イチ兄は、強烈な陽の光に目を細めながら、ダムのある方角を見やっていた。
目の前の川に視線を戻す。
私が初めて泳ぎ、溺れた川。
私「今でも十分キレイと思うけどなー・・・」
呟くと、隣でイチ兄がからからと笑った。
それからしばらく話をして、イチ兄は畑に杭をたてる仕事があるということで、車に戻って行った。
イチ兄「二、三日泊まってくなら一度くらい飯食いに来な。嫁さんもチビすけも喜ぶけぇよ」
車の中から、イチ兄はそんなことを言った。
彼はつい近年結婚し、子供も生まれたばかりだった。
トマトのような頬をした女の子で、一度抱っこしてみろと押し付けられた時に大泣きをされ、皆に笑われた苦い思い出がある。
私「あー、気が向いたら、行く」
私がそう返事をすると、イチ兄が笑って片手を上げた。
軽トラは緩やかな坂道を上りすぐ見えなくなった。
その後、私は持ってきた道具を広げ、釣りを始めた。
二時間ほど粘ったが釣果は芳しくなく、釣れたのは痩せたアメゴが一匹だけだった。
そういえば、祖父は突きも投網もやったが、釣りだけはしなかったそうだ。
そう話してくれたのは祖母で、理由を訊くと、「あの人にゃあ、川に入ってばちゃばちゃやる方が性にあっちょったんよ」と、可笑しそうに笑っていた。
今日はこれ以上続けても無駄だろう。
服もすっかり乾き、大分腹もこなれてきた私は、一匹だけアメゴの入ったバケツを手に祖母の家に戻ることにした。
そうして、河原から家へと続く階段を上ろうとした時だった。
背後からまた誰かに名前を呼ばれた気がして、私は振り返った。
そこには誰もおらず、ただ同じように川が流れていた。
もう一度名前を呼ばれた。
見上げると、階段を上りきったところに祖母が居て、私が上ってくるのを待っているようだった。
私はもう一度だけ後ろを振り返り、それが確かに気のせいだったことを確認してから、再び石段を上りだした。
祖母「じいさんはおったかよ」
途中、上から祖母が言った。
私は首を横に振って、「おらーん」と答える。
そうしながら、ふと、もしくらげを連れて来たとしたら彼には見えるのだろうか、と、そんな想像が頭をよぎった。
イチ兄が見たという祖父の姿。
そうして、まるでビー玉を溶かしたようだという、祖父の川。
気が付くと、いたずらっ子のような笑みを浮かべた祖母が、私を見やっていた。
私「なんだよ」
すると彼女は、まるで私の考えなどお見通しだでもというように、こう言った。
祖母「次はくらげ君と来んさい」
私は祖母を見やり、手のバケツを見やり、その中のアメゴを見やり、息を吐いた。
私「・・・気が向いたらなー」
祖母が笑った。
そうして、「じいさん聞いたかよー」と、私の背後に向かって大きな声を響かせた。
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