前の仕事が嫌で、駅のホームに立ってると『ふと線路に落ちたくなる・・・』ていうことを経験するほどのストレスを感じていました。

今は仕事を変えてなんとか生活していますが、当時は酷く、「鬱一歩手前まで行っていた」と医師に言われていました。

ちなみに当時は理性が働いているものの、あと少しで線路に、ていう危険な行為は何度かありました。

しかしその都度、謎の感覚、暖かく居心地のいい、安心感みたいなものに包まれて、線路に落ちずにいました。
この安心感が欲しいためだけに飛び込み未遂をするというのも何度か。

ある日、仕事でまた怒られ、サビ残をし、もう日を跨ごうか、という時に帰宅となりました。

この日は相当辛くて、足元もおぼつかない状態で駅に着きました。
ホームで電車を待っていると、やはりこの日も線路に・・・という感覚がありました。

この日の違う所は、落ちそうになる前から妙な安心感があり、冷静でした。

一歩一歩踏み出し、いざ線路へ、というところでした。

ドン

と、ホーム側から押されたのではなく、線路側から押されました。

もう何がなんだかわかりません。
尻餅を着きました。

しかし、なんでしょうか。
押されたにも関わらず、嫌な気持ちは無いんです。

どちらかというか気づかされたというか・・・『何やってんだ俺は』てなりました。

そして『仕事を変えなくては』と思いました。

結局その日を境に会社に退職届を提出し、晴れてストレスの日々から解放されました。

それからは楽しい日々を過ごしています。

会社の人間関係は良好で、激務でも無いので心に余裕が出来ました。

今思うと、あの安心感というものは、同じ飛び込みをした人達から送られてた念だったのかもしれません。

“落ちたら楽になるぞ、一瞬で死ねるぞ、お前も仲間になれ”

そういった念と自分の波長が同調していたのかも知れません。

となると、あの、ドン、というのはきっと自分の守護霊によるものだな、と思うようになりました。

今の生活を送れるのも守護霊のおかげなので感謝しながら生活してます。

しかし最近電車に乗ろうとすると

ドン

ホーム側から線路側へ押されるようになりました。

これは守護霊なのか自殺者からの念なのか。
なにはともあれ、自分は今、なにかに弄ばれていると思います。

以前より楽だからいいんですけどね。