実家のそばにあった廃屋の話。
俺が物心ついた頃には、その家にはもう人が住んでいなかった。
新しく入居者がやって来ることはついぞなかったが、それも当たり前のことで、と言うのもそこは酷いボロ屋なのだった。
壁も屋根も黒ずんだトタンでできた平屋建てで、窓はと言えば残らずひび割れていた。
戦後の物のない時代の町並みを写した白黒写真から抜け出てきたような、そんな家だった。
俺がその家の前でおかしな体験をしたのは、ある雨の夜のことだ。
バケツをひっくり返したような雨の中、中学生だった俺は傘を手に家路を急いでいた。
問題の家はちょうど俺の通り道にあった。
俺が物心ついた頃には、その家にはもう人が住んでいなかった。
新しく入居者がやって来ることはついぞなかったが、それも当たり前のことで、と言うのもそこは酷いボロ屋なのだった。
壁も屋根も黒ずんだトタンでできた平屋建てで、窓はと言えば残らずひび割れていた。
戦後の物のない時代の町並みを写した白黒写真から抜け出てきたような、そんな家だった。
俺がその家の前でおかしな体験をしたのは、ある雨の夜のことだ。
バケツをひっくり返したような雨の中、中学生だった俺は傘を手に家路を急いでいた。
問題の家はちょうど俺の通り道にあった。
廃屋のまま放っておかれている割に立地は悪くなくて、車通りの多い交差点の前に建っている。
その交差点で赤信号に足止めを食らった俺は、廃屋でものすごい音が鳴っているのに気がついた。
見ると雨に打たれたトタンが、爆弾が爆発したみたく大きな音をたてている。
ただでさえ雨に濡れて不快な思いをしていた俺は、騒音にイライラしながら信号が替わるのを待っていた。
そのうち、ふと聞こえてくるのがトタンの鳴る音だけでないのに気がついた。
前を通る車の音や雨音に混じって、低い男の声が聞こえるようだ。
それだけではない。
ひどく一本調子だが、その声には節がついていた。
俺にはそれがすぐそばで誰か歌っているらしいように思えた。
一体どこから聞こえてくるのだろう?周囲に人気はなかった。
それにこの雨音に負けないくらいだから、かなり近くで大きな声を出しているに違いない。
俺は廃屋の方を振り返った。
するといきなり開けひろげになった窓が目についたので、すぐにまた道路の方へ向き直った。
見てはいけないものを見てしまったように思ったからだ。
確かに歌声は不気味だったが、それもこの場から逃げ出すほどではない、なるべく廃屋のことを考えないようにしてじっとしていれば、すぐにでも信号が青になるはずだ。
そう自分に言い聞かせていた。
信号が替わった。
俺は小走りになって、追いたてられるように横断歩道を渡った。
ちょうど半分あたりまで来たとき、廃屋の方から一際大きなドン!という音が立て続けに聞こえた。
ドン!ドンドンドン!
とてもじゃないが、その音は屋根に雨粒の当たる音とは思えない。
まるで誰かが家の中にいて、力の限り壁を叩いているような、鈍い音だった。
横断歩道を渡りきった俺は一度だけ廃屋を振り返ったが、中で何が起きているかはわからなかった。
翌日から俺がしたことは、この体験を仲の良い友達に言い触らして回ることだった。
その際俺は友人から、以前から廃屋が“出る場所”とされていることを初めて聞かされた。
そのいわれは話をする人によって様々で、ある人には廃屋には十数年前まで老人が一人で住んでいたが、ある日突然その姿が見えなくなったと言われたし、また別の人には若い女がそこで首を吊ったとも言われた。
中でも一番強烈だったのは、その昔廃屋に精神を病んだ男が住んでいたが、ある時その男が家に人を拐っては殺していたことが発覚した、というものだった。
捕まった男は今も服役中であり、そのために空き家が壊されることはないのだという。
もっとも、俺はどの話も頭から信じ込むことはなかったけれど。
ちょうどこの頃から、近所の中学生が夜窓から廃屋に入った、という話がいくつか聞かれるようになった。
いずれの場合も目的は肝試しだったのにも関わらず、これといって不思議なことは起こらなかったらしい。
どうやら歌声がしたのも、俺の聞いた一回きりのようだった。
数ヶ月もすると、同級生の皆が廃屋に抱いていた『出る』というイメージはすっかり払拭されてしまった。
近所の不良が夜中廃屋にたむろするようにすらなったとのことだった。
それからはあっという間だった。
ある小雨の降る夜のこと、何気なく廃屋の前を通りかかると、そこに救急車と数台のパトカーが停まっているのを見かけた。
そばには制服を着た4,5人の中学生が、傘も差さずに立ち尽くしている。
コツ・・・コツ・・・。
廃屋のトタン屋根が、雨の雫を受けて静かに音を立てている。
あの夜と同じだ。
そう思ったそのとき、廃屋から一台の担架が運び出されてきた。
乗せられたシーツが人の形に盛り上がっているのが見えたが、遠目には何だかよくわからなかった。
翌朝は全校朝会が開かれた。
見たこともないほど険しい面持ちをした体育の先生の口から、それまで廃屋だとばかり思われていたその家が、実はれっきとした人の持ち家であるということが語られた。
今後は二度と廃屋に立ち入ってはならない、という話で集会は締め括られた。
死んだ生徒のことには一言も触れられなかった。
教室に戻ると、俺はすぐに昨日廃屋にいたのが誰か聞いて回った。
そしてその中で、昨晩から誰にも姿を見せていないのは誰か――
満足の行く答えは誰からも返ってこなかったが、昨晩の一件の真相はすぐに俺の知るところとなった。
というのも、他のクラスにいた不良の一人が、学校中に触れ回っていたからだ。
曰く、自分達が廃屋の奥へと延びる廊下の前にいると、そこから『見知らぬ男の死体を、小さな子供が引きずってきた』という。
その交差点で赤信号に足止めを食らった俺は、廃屋でものすごい音が鳴っているのに気がついた。
見ると雨に打たれたトタンが、爆弾が爆発したみたく大きな音をたてている。
ただでさえ雨に濡れて不快な思いをしていた俺は、騒音にイライラしながら信号が替わるのを待っていた。
そのうち、ふと聞こえてくるのがトタンの鳴る音だけでないのに気がついた。
前を通る車の音や雨音に混じって、低い男の声が聞こえるようだ。
それだけではない。
ひどく一本調子だが、その声には節がついていた。
俺にはそれがすぐそばで誰か歌っているらしいように思えた。
一体どこから聞こえてくるのだろう?周囲に人気はなかった。
それにこの雨音に負けないくらいだから、かなり近くで大きな声を出しているに違いない。
俺は廃屋の方を振り返った。
するといきなり開けひろげになった窓が目についたので、すぐにまた道路の方へ向き直った。
見てはいけないものを見てしまったように思ったからだ。
確かに歌声は不気味だったが、それもこの場から逃げ出すほどではない、なるべく廃屋のことを考えないようにしてじっとしていれば、すぐにでも信号が青になるはずだ。
そう自分に言い聞かせていた。
信号が替わった。
俺は小走りになって、追いたてられるように横断歩道を渡った。
ちょうど半分あたりまで来たとき、廃屋の方から一際大きなドン!という音が立て続けに聞こえた。
ドン!ドンドンドン!
とてもじゃないが、その音は屋根に雨粒の当たる音とは思えない。
まるで誰かが家の中にいて、力の限り壁を叩いているような、鈍い音だった。
横断歩道を渡りきった俺は一度だけ廃屋を振り返ったが、中で何が起きているかはわからなかった。
翌日から俺がしたことは、この体験を仲の良い友達に言い触らして回ることだった。
その際俺は友人から、以前から廃屋が“出る場所”とされていることを初めて聞かされた。
そのいわれは話をする人によって様々で、ある人には廃屋には十数年前まで老人が一人で住んでいたが、ある日突然その姿が見えなくなったと言われたし、また別の人には若い女がそこで首を吊ったとも言われた。
中でも一番強烈だったのは、その昔廃屋に精神を病んだ男が住んでいたが、ある時その男が家に人を拐っては殺していたことが発覚した、というものだった。
捕まった男は今も服役中であり、そのために空き家が壊されることはないのだという。
もっとも、俺はどの話も頭から信じ込むことはなかったけれど。
ちょうどこの頃から、近所の中学生が夜窓から廃屋に入った、という話がいくつか聞かれるようになった。
いずれの場合も目的は肝試しだったのにも関わらず、これといって不思議なことは起こらなかったらしい。
どうやら歌声がしたのも、俺の聞いた一回きりのようだった。
数ヶ月もすると、同級生の皆が廃屋に抱いていた『出る』というイメージはすっかり払拭されてしまった。
近所の不良が夜中廃屋にたむろするようにすらなったとのことだった。
それからはあっという間だった。
ある小雨の降る夜のこと、何気なく廃屋の前を通りかかると、そこに救急車と数台のパトカーが停まっているのを見かけた。
そばには制服を着た4,5人の中学生が、傘も差さずに立ち尽くしている。
コツ・・・コツ・・・。
廃屋のトタン屋根が、雨の雫を受けて静かに音を立てている。
あの夜と同じだ。
そう思ったそのとき、廃屋から一台の担架が運び出されてきた。
乗せられたシーツが人の形に盛り上がっているのが見えたが、遠目には何だかよくわからなかった。
翌朝は全校朝会が開かれた。
見たこともないほど険しい面持ちをした体育の先生の口から、それまで廃屋だとばかり思われていたその家が、実はれっきとした人の持ち家であるということが語られた。
今後は二度と廃屋に立ち入ってはならない、という話で集会は締め括られた。
死んだ生徒のことには一言も触れられなかった。
教室に戻ると、俺はすぐに昨日廃屋にいたのが誰か聞いて回った。
そしてその中で、昨晩から誰にも姿を見せていないのは誰か――
満足の行く答えは誰からも返ってこなかったが、昨晩の一件の真相はすぐに俺の知るところとなった。
というのも、他のクラスにいた不良の一人が、学校中に触れ回っていたからだ。
曰く、自分達が廃屋の奥へと延びる廊下の前にいると、そこから『見知らぬ男の死体を、小さな子供が引きずってきた』という。
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