若いうちに癌になると、細胞の分裂が早いから腫瘍がすぐに大きくなるの。
2週間前に1mmだった影が、3cmまで大きくなるとかもある。

患者さんは、30代の女性だった。
脳腫瘍。
脳の癌ね。
見つかったときには、患者さんは意識不明の状態だった。

その人は夫も息子もいて、最悪なことに妊娠3ヶ月の状態だった
入院して一月経たないでなくなったんだけど、意識不明で2週間くらい経ったときだったかな。

意識不明でも尿もでるし、毎日清拭をするんだけど、「臭い」がしてくるんだよな。
肉が、というか、「細胞」が腐っていく臭い。
死臭って言うんだと思う。

気にしなければさほど匂わないけど、日に日に強くなっていくんだ。
肉体は目に見えて変化はないけど、アラームの鳴る傍でどんどん四肢が腐っていく感じ。

夫は毎日病室に泊まっていた。
冷静に医者の診断を聞き、腹の中の子の安否を聞いて、「恐らくは・・・」と医者が言うと「そうですか・・・」とひとこと喋っただけ。
理解して、現実を冷静に受け止める強さを、持っていたのだと、最初はそう思った。

死臭がして1週間くらいして、(・・・もう駄目だろうな・・・)って感じで俺も処置をしてたんだけど、母体の腹が妙にねちょねちょしているのに気付いた。

そのときは、死に逝く人の肉体の変化かなって思ってたんだけど、そのねちゃねちゃした部分が、妙に黒くくすんでた。

「いつもすみません」と、夫は私に頭を下げた。
妙に居たたまれない気持ちになって、何か毎回泣きそうになるんだけど、にっこり笑って「いえいえ」といつも返していた。
そうして退室して、部屋を出た。

しばらくして、患者のサーチュレーション(血中の酸素濃度)が90%を気ってアラームが鳴ったから、部屋まで向かった。

カーテンが閉まって、中の様子は見えなかったけど、シルエットで夫が傍に立っているのが分かった。
サーチュレーションが下がったとはいえ、吸引くらいしかすることがなかったけど、準備しようとして気付いた。
どうも夫が、妻の上にのしかかろうとしているみたいだった。
正しくは、お腹に顔を当てて母子の呼吸を聞こうとしてる感じか。

部屋の前で少し様子を見ていたんだけど、どうも様子が少しおかしい。
夫の顔が、左右に揺れていた。

窓の反射を見て、絶句した。
夫が舌を出して、チロチロと妻の腹を舐っていた。
へその周りを重点的に、何度も何度も。

モニターの音がピッピッと鳴っている間、夫は無言で腹を舐め回していた。
いつも自分が拭いていた腹のネチャネチャは、夫の唾液だった。

無言で部屋を出て、先輩に相談して一緒に行こうとなって、あえて大きな足音をさせてその部屋に言ったら夫は何食わぬ顔で本を読んでいた。

その日はそれで終わったけど、しばらくして自分は休みに入った。

それから俺のいない日に、奥さんは亡くなった。
当日、担当だった先輩から聞いたが、医師の臨終確認が終わると、旦那さん、憑き物が落ちたようにストンと倒れたらしい。
母体のお腹にうつぶせて「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」って。
聞こえるか聞こえないかって声でぶつぶつ呟いてた。

まだ生きてるまだ生きてるって、お腹を摩っていた。

本当は、もう数日前に胎児の脈はとれないレベルまで落ちてたんだけど、母体の死亡と一緒に、児の死亡も告知されたあとだったらか、もう狂ったみたいに冷静なダンナさんが豹変したらしい。

その日の夜、葬儀の準備のために遺体を保管していた部屋で、旦那さんが母体の腹に司法解剖で開いた創部をカッターでくりぬいたらしい。

しばらくしてスタッフが見つけたとき、綺麗に血を処理された母体と、流し場で洗われた半分溶けた胎児が捨ててあったと。

夫のそれからは自分はしらないが、警察に捕まったとだけ聞いた。