先輩の話。

夕暮れの山を一人で縦走していると、古びた背の高いテントに出会した。
一体何でまたこんな森が深い場所に設営してるんだろう?
声をかけてみたが応えはなく、そっと中を覗いてみた。

そこには何もない。
人が滞在した様子も伺えない。

「テントを置き去りにして、そのまま山を下りたりするものだろうか」

そう疑問に思いながら首を引き戻すと、周りの風景が変わっていた。
いつの間にか先輩は、薄暗いテントの中に突っ立っていたのだ。

「・・・自分は外からテントを覗いていた筈だ。その自分が、なぜテントの中にいるのか?」

恐る恐る、入り口から顔を突き出してみる。

薄暗い。
そして今自分がいるのとまったく同じ情景。
間違いなくそこもテントの中だった。

「テントが二つ並んで設営されていたのか?いや、確かにテントは一つだけだったが・・・」

反対側の出口に駆け寄り、薄幕を引き開ける。
そこも別のテントの中に繋がっていた。
早足で中を横切ると、そのテントの出口を覗いてみた。
やはりその先も、薄暗いテントの中だった。

途切れることなく、次から次へとテントは続いていた。

「馬鹿な、こんなことあるわけがない!」

しかし、どちらにどこまで進んでも、どうしても外に出ることが出来ない。
思い詰めた先輩はテント横の布地を破って外に出ようとした。

ナイフを取り出すと穴を開け、広げてみた。
外は灰色の空間だった。

どこまで見通しても、薄暗く何も見えない。
地面すらよく判別できなかったらしい。

生臭い空気が、破った穴から流れ込んでくる。
とてもそこから出る気にはなれなかった。

気を静めようと、胡座をかいて一服点けることにした。
下山した時に吸おうと取って置いた煙草を取り出し、紫煙を燻らせる。

吸い終えてから覚悟を決め、入り口の幕に手を掛けた。
山の端に没しようとする夕日が目に飛び込んできた。

あっさりと外に出られたことが信じられず、後ろを見やる。
記憶通りの古びたテント、それが一つだけポツンと佇んでいた。

真っ暗になる前に、出来るだけその場を離れようと逃げ出した。
そんな怪しいテントの側で野営する勇気など、とても持てなかったそうだ。

それ以来、山中にぽつねんと置かれている古いテントに出くわしても、先輩は絶対に近よらないようになった。

あの時の薄暗い情景を思い出すと、今でも鳥肌が立つからだという。