私のクラスメイトには、座敷わらしがいた。
誰にも見えなかったけど、いたのだ。

小学校四年生の頃だ。
私の通っていた学校は田舎のこぢんまりとした学校だった。

私の学年は全員で62人。
クラスは2つ。
私は2組だった。

三年生から四年生に上がるとき、クラス替えがあった。
といっても、たかだか62人。
全員顔見知りで、半分くらいは同じ顔ぶれだった。

おかしなことが起き始めたのは、夏休みが開けたころだったと思う。

その頃から、私のクラスでは度々“ひとつ余る”ことが多くなった。
たとえば、席替えのくじ引き。
全員がひき終わったあと、なぜかひとつ余る。
調べてみると、なぜか32人の計算でくじか作られていた。
係を決めるときも、なぜか32人の計算で係が割り振られていたりした。
最後の最後に人数が合わなくなって、ようやく間違いに気づいた。

給食の時、デザートなど数の決まったものが、なぜかひとつ余る。
食器が余ったこともあった。
つまり、私たちクラスメイトだけでなく、給食室の調理師さんたちまで間違えていた。

一番多かったのは、プリントだ。
算数のプリントが、漢字練習のプリントが、必ず一枚余った。
親に渡すようなプリントも余った。
どういうわけか、先生たちは実際に配るそのときまで、間違いに気づかない。
そういうことが、よくあった。

ある時、クラスの男子のひとりが「きっと座敷わらしがいるんだ」と言い出した。
ちょうどその頃、世はオカルトブーム全盛期だった。
きっと彼もそれに影響されて言い出したのだと思う。
おばけでも花子さんでもなく座敷わらしだった理由は、よくわからない。
ただ、なぜか私たちは、彼のその言葉に納得してしまった。
『そうか、このクラスには座敷わらしがいるのか』と。

なぜそうもあっさり受け入れたのかはわからない。

別の男子が、クラス名簿に勝手に名前を書き加えた。
姓は座敷、名はわらし。
こうしてクラスメイトの座敷さんが誕生した。

誰かが、空き教室から椅子と机を持ってきた。
雑多な物入れになっていたロッカーが、座敷さんのロッカーになった。
余ったものは座敷さんのものというのが、クラスの暗黙の了解になった。

給食が余ったら座敷さんの机に置く。
余ったプリントも座敷さんの机にしまう。
係を決めるときは座敷さんにも割り振った。
席替えだって、座敷さんの机を動かした。

なぜか、クラスメイトの全員が存在しない座敷さんの存在を受け入れて、いるものとして扱っていた。
だれもおかしいと言わなかったし、だれも座敷さんの存在を忘れることはなかった。

先生たちはかなり戸惑っていた。
けれど、田舎の学校だ。
先生たちは、よく言えばおおらか、悪く言えば適当だった。
だから一度として、やめなさいといさめられたことはなかった。

私たちは結局、卒業まで座敷さんと過ごした。
卒業するまで、ひとつ余る現象はなくならなかった。

卒業アルバムを開くと、クラス全員で撮った写真が最初に出てくる。
その写真は当然31人で撮ったものなのだけど、なぜか一番後ろの列の真ん中が、ひとり分空いている。
そこは座敷さんのために、クラスメイトが自然とあけたスペースだ。
その小さな隙間を見るたびに、思い出す。
見えないけど、確かに存在したクラスメイトのことを。