友人の話。

夏山を仲間と二人で縦走していた時のことだ。

その日は河原にテントを張り、釣った魚を夕飯にしていた。
腹も満たされてそろそろ寝ようかという頃合、人の声がした。

「入るぞ」

渋い男の声が、テントのすぐ外から掛けられた。
思わず仲間と顔を見合わせる。
咄嗟に声が出ない。

「入るぞ」

もう一度声は呼ばわった。

仲間は怖い顔で、指を口の前に立てて“声を出すな”のジェスチャーをした。
固唾を呑んでその指示に従う。

うっかり返事をすると、声の主がテントに押し入ってくるような、そんな気がしたから。
後で確認したところ、仲間もまったく同じことを考えていたそうだ。

その後も間隔をおいて「入るぞ」の声は聞こえ続けた。
何度目の問い掛けだったろう。
身動きもせずに固まった二人の耳に、先までと違う文言が届いた。

「招かれないんじゃ仕方がない。残念だが出直そう」

それきり声は二度と聞こえなかった。

安堵の溜息を吐きはしたが、言葉を口に出すのが恐ろしかった。
どこかでアレが聞いているような気がして。
声を出して会話すると、またアレが声をかけてくるような気がして。
闇の中から。

取り敢えず筆談で意思疎通し、交代で番をしながら寝ることにした。
無事に夜が明けてから、やっと声が出せたのだそうだ。

「何だったんだ、アレ!?」

答えは見つからず、その日のうちに強行軍で山を下りたのだという。