26歳、一応大卒。

所謂教育熱心とされる家庭(特にヒステリックな母親がそう)に生まれ国立大附属の小中一貫を出たが、最近になってその附属という肩書のせいで自分がどれだけ苦しんできたかに気付いた。

附属だからと就職で落ちたと思しきケースもあったし。
町工場なんて特にそう。
うちなんて勿体ないとかね。

そりゃ建前もあるだろうが、大きな理由の一つではあるだろう。
確実にそうだと思しきケースもあったし。

長年高校選びを悔やんでいたが、そもそもそれも附属だからということに気付いた。
進学校しか認めない環境故に却って選択肢が狭まる落とし穴。
附属の常識はよその非常識、逆もまた然りともやっと気付いた。
良く(一応フォロー)も悪くも特殊な環境なのは事実。
自分が当たり前だと思っていた環境は当たり前ではなかったと。

あんなのはしなくてもいい苦労をさせる場所、悪質な宗教でしかないわ。

9年間洗脳されていた。
いや、9年なんてもんじゃないか。
小学校で制服もおかしいし。

人格形成の9年間同じ面子ってのもわかりやすい欠点か。
幼稚園からだと12年。

田舎の閉鎖的なムラ社会に似た感じ?

そりゃ自分で入りたいと言った記憶もあるけど、所詮幼稚園児の言うことじゃん。
小学校選びなんて本人が決められることじゃない。

3つ離れた姉の影響もあるかな。
姉は幼稚園の途中から編入し俺も確か編入試験を受け(させられた)が落ちたし。

それに気付いてから附属の連中とは全員縁を切りました。
昨年8月にはFacebookでも一斉削除。
60は消えたか。

そして長年の一番の親友とも決別。
小中そして高、更には附属に入るための塾(そんなのいらん)からだから実に20年か。

今の仲になったのは10年だが。
1年前から疎遠ではあった。
彼とはSNSでは繋がっておらず。
繋がる必要すらなかった仲と。
附属と決別するということは、彼と決別するということなの。

こちらから決別を言い渡しては一切いない。
20年分のサヨナラ。

6年前の成人式では附属の連中と会いたくて仕方がなく会えて嬉しく日常に戻るのが嫌だったほど。それが6年でこうも変わるか・・・。

義務教育9年間を丸ごと否定し長年の一番の親友と決別ってのも大概だな。
つまりそれだけのことではある。

不仲による絶縁よりかはましか。
そうなる前に自ら断ったわけでもあり。

母親にもこれらを話しました。
怒るトーンではなく諭すように。

ここ数年色々あったことを知っているから意外と冷静でした。
内心まではわかりませんが。とどめとして「あんたの口癖、後悔のないように。俺は附属に入ったことを心から後悔しているよ?これが望んだ結末ではない・・・よな?」

言いたくなかったけどあの人にはこれくらい言わないと効かないし。
附属故の欠点も多いことに気付かず盲信して疑わなかった母親。

大は小を兼ねるとは限らん。
何が大で何が小かはわからなうなるがね。

後味悪いとは思いませんか・・・?
附属のせい親のせいにしている屑な自覚はある。