小学三年生だった僕は一学期の終業式が終わり、明日からの夏休みに思いを馳せ帰宅していたのだけれど、住宅街に入りあと二つほど角を曲がれば自宅だという時に急に後ろから突き飛ばされたような衝撃に襲われた。
ずぼらだった僕は先生から毎日少しずつ持って帰るようにと言われていたのに教科書や道具箱など全部おきっぱなしだったので両手に手提げ袋満杯の荷物を持っていた。
咄嗟に手を着くことも出来ずつんのめって盛大におでこをアスファルトにぶつけた。
ごっちーん!
冗談のような音がして目の前に火花が飛び散るのを感じたよ。
それなのに全く痛みがやってこないのを不思議に思っていて、とりあえず起き上がろうとするんだけれど体の感覚が一切ない。
ずぼらだった僕は先生から毎日少しずつ持って帰るようにと言われていたのに教科書や道具箱など全部おきっぱなしだったので両手に手提げ袋満杯の荷物を持っていた。
咄嗟に手を着くことも出来ずつんのめって盛大におでこをアスファルトにぶつけた。
ごっちーん!
冗談のような音がして目の前に火花が飛び散るのを感じたよ。
それなのに全く痛みがやってこないのを不思議に思っていて、とりあえず起き上がろうとするんだけれど体の感覚が一切ない。
あれ?指ってどうやって動かすっけ?というか手ってどこにあったっけ?
そんな風に焦ってしまうくらいに何も感じなくなってしまった。
薄目しか開いていない視界にはアスファルトのでこぼこがどアップに映っていて、カビっぽいというか油っぽいというか苦いというかそんな地面のにおいが一番記憶に焼き付いている。
そうして動けずにいるとぐるんと視界がまわって明るくなった。
体をひっくり返されたらしい。
瞼の開け方も閉じかたも眼球の動かし方も思い出せない。
地面との衝突音の後から音も聞こえなくなってた。
そうしてしばらく視界がぐるんぐるんと激しく動いたかと思うと、景色が焦げ茶色の毛羽だった布地のどアップに変わって落ち着いた。
ずっこけてから普段はあんまり意識してないはずの嗅覚だけがなぜかやけに鋭敏になっていて、表現がしづらいのだけど「初めて行った他人の家のにおい」に近い臭気を強く感じる。
後はほんのり芳香剤っぽい人工的な花の香り。
そんな風に考えていると、視界が不規則に揺れていることに気がついた。
特に焦げ茶以外に見えるものとかはないんだけど、不意に今自分は他人の車に乗ってるんだって閃いた。
ウチの車の後部座席で横になって寝転がっている時の視界に似てたけれど、家の車はシートが灰色だから他人の車だって。
それから時間の感覚とかも全くなかったけれど、たぶんかなり長い時間揺られていたと思う。
その間になんとなく考えていたのは、たぶん僕はこの車に後ろからぶつかられたんだなぁってこと。
頭ぶつけて体を動かせなくて耳も聞こえてないんだなぁってこと。
病院に連れていってくれてるんだろうなぁ・・・でも手術とかするのかな怖いなぁってこと。
相変わらず痛みも体の感覚もない。
ただ視界一杯の焦げ茶色と他人の車らしきにおいだけがずっとこびりつくみたいに記憶に残ってる。
それからまたしばらくして景色がぐるんぐるんと目まぐるしく変わるとにおいが変わった。
重い感じの・・・。
脂っぽくてすっぱくて少し煙っぽい・・・。
嗅覚って人に伝えるの本当に難しいけれど、おそらく「汗かいたおじさんのにおい」が想像しやすいかもしれない。
そしてほんの少し木とか草のにおいがした。
いやな予感はしてたんだよ。
病院っぽいにおいとかしないんだもん。
うっすら見える光景は明らかに屋外だし、夕方越して宵の口だし家の近所と比べて自然豊かにも程があるし、視界がぐわんぐわん動くたびに湿った草と土のにおいが濃くなっていく。
案の定次に見えたのは茶色い土のどアップ。
そして噎せ返るほど強烈な湿った土のにおい。
これ母さんが良くテレビで観てる奴でよくあるシーンだ!
なんて考えていたらすぐに真っ暗になって視覚も遮られた。
ただただ嗅覚だけがなぜかずっと残っている。
土臭い。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
動けない。
怖い寂しい。
土臭い。
思考はずっとそのループで苦しいとか痛いとかは一切感じなかった。
土臭い。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
動けない。
怖い寂しい。
土臭い。
何度も何度もそう考えて時々それまでの人生を思い出して悲しくなって、でも涙も出ないし声もでないし痛くなる胸の感覚も思い出せなくて。
土臭い。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
動けない。
怖い寂しい。
土臭い。
時間の感覚もなかったけれど、数分とか数時間とかじゃなくて永遠だと感じるくらいずっとそれをループしてループして、ぱちくりとまばたきをすると「大蔵じいさんとがん」を読みながら良い話だなと胸を熱くしていた。
あれ?ん?まてどうして?
僕はさっきまで土の中で?いやそんなことあり得ないし?
今は授業中だったよね?え?
突然とてつもない恐怖とか絶望とか哀しみとかが押し潰すみたいに襲いかかってきて、僕は授業中の教室で叫びながら泣き出した。
今何してるかの記憶はある。
小学五年生の二学期で三時間目の国語の授業中だ。
昨日何してたかも思い出せる一昨日も先週の土日どこで誰と遊んだかも。
でも一ヶ月前以前のことはこれっぽっちも思い出せない。
そしてそれ以前で思い出せるのは三年生の終業式の日。
それ以前のことはぼんやりとだけどちゃんと思い出せる。
すっぽりとあの夏休み前日から五年生の夏休み明けまで記憶が抜けている。
それなのに当然クラスメイトも自分自身も成長しているはずだけど、別に違和感はない。
担任教師も変わっていたけれどそのことも理解している。
頭ぐちゃぐちゃで不安で怖くて辛くて悲しくて気味が悪くてとにかく叫びながら震えることしか出来なかった。
さっきまで普通に授業を受けていた生徒が突然発狂したんだから周囲はえらい騒ぎだったらしいけど、僕は怖くて怖くて泣きながら蹲って震えていた事しか覚えてないや。
授業どころじゃなくて先生が担いで保健室直行してそこでも会話にならなくて
、しばらくして母親が迎えに来てくれたけど、歩くこともままならず五年生をだっこで車に乗せるのは大変だったと怒られた。
その時は震えていただけだったらしいけど、車に乗ったことでまたスイッチが入ったらしく、大絶叫してついに意識なくしたようだ。
次に目が覚めたのは自室のベッド。
夜中だったから数時間かと思ったら丸々二日以上寝てたらしい。
当然親とか教師とか皆に何があったのか聞かれたんだけど、あんまりに気味が悪いし不吉だし頭おかしいって当時も理解していたから。
うとうとして居眠りしたら凄く怖い夢をみちゃってそれが凄くリアルで・・・って話で濁してた。
明らかにそんなレベルの発狂じゃなかったから皆なんとなく気を使って納得したフリをしてくれてたんだと思う。
親には一度医者にもつれてかれたし、たぶんあれは精神科だったんだろうけど、普通に受け答えしていたら特に異常なしで終わったよ。
それから時々僕の空白の時間について家族や友人に話を聞いていったんだけど、特に性格が変わったとか異変があったとかは一切なかった。
三年生の一学期の終業式も何事もなく、帰宅して夏休みには予定通り旅行に行ったらしい。
旅行を予定していたことは覚えているけれど行った記憶はない。
五年生の夏休みまでに旅行やら遠足やらで行った場所は高校卒業までに折を見て再訪してあるけれど、記憶が呼び覚まされることは一切なかった。
むしろもっと小さいときに一度来たことがあるのを思い出して更に空白期間の存在を強めることになったよ。
ちなみにその約二年の間に僕の地元地域では日本中が記憶している位の大事件が二つあった。
それも一つは地元で起きた災害なので親兄弟も地元の友人も時々その話をすることがあるし、そんなことがあれば絶対忘れるはずなんて無いのに僕は全くその時のことを覚えていない。
あと地味に地獄だったのが勉強がまるまる二年分すっ飛んだことだったよ。
ちゃんと空白の時間も授業を受けていたようで、その間のテストとかはそれなりの点数ちゃんと取れている物的証拠があるのに、当時の僕にはその問題を解く知識が完全に失われていた。
特に算数はどちらかというと得意科目だったのに、その二年を取り返せない内に進級していってしまって中学で完全に躓いた。
高校受験前にはなんとか赤点回避レベルまで追い付いたけど本当に辛かった。
でもこのことで何かの問題が起きたのはこれだけ。
もちろん今でも山のにおいとか粘土っぽい土のにおいとか嗅ぐと不安な気持ちを思い出すことがあるけれど、パラレル的な世界で死んだ「僕」の記憶があの授業中に何かのエラーでこの世界の「僕」に上書き保存されてしまったという現象なのかなって。
そういう落とし所をつけたら怖いというより切ない感じで受け止められるようになった。
ということでおそらく僕はずっと前に死んでる。
そんな風に焦ってしまうくらいに何も感じなくなってしまった。
薄目しか開いていない視界にはアスファルトのでこぼこがどアップに映っていて、カビっぽいというか油っぽいというか苦いというかそんな地面のにおいが一番記憶に焼き付いている。
そうして動けずにいるとぐるんと視界がまわって明るくなった。
体をひっくり返されたらしい。
瞼の開け方も閉じかたも眼球の動かし方も思い出せない。
地面との衝突音の後から音も聞こえなくなってた。
そうしてしばらく視界がぐるんぐるんと激しく動いたかと思うと、景色が焦げ茶色の毛羽だった布地のどアップに変わって落ち着いた。
ずっこけてから普段はあんまり意識してないはずの嗅覚だけがなぜかやけに鋭敏になっていて、表現がしづらいのだけど「初めて行った他人の家のにおい」に近い臭気を強く感じる。
後はほんのり芳香剤っぽい人工的な花の香り。
そんな風に考えていると、視界が不規則に揺れていることに気がついた。
特に焦げ茶以外に見えるものとかはないんだけど、不意に今自分は他人の車に乗ってるんだって閃いた。
ウチの車の後部座席で横になって寝転がっている時の視界に似てたけれど、家の車はシートが灰色だから他人の車だって。
それから時間の感覚とかも全くなかったけれど、たぶんかなり長い時間揺られていたと思う。
その間になんとなく考えていたのは、たぶん僕はこの車に後ろからぶつかられたんだなぁってこと。
頭ぶつけて体を動かせなくて耳も聞こえてないんだなぁってこと。
病院に連れていってくれてるんだろうなぁ・・・でも手術とかするのかな怖いなぁってこと。
相変わらず痛みも体の感覚もない。
ただ視界一杯の焦げ茶色と他人の車らしきにおいだけがずっとこびりつくみたいに記憶に残ってる。
それからまたしばらくして景色がぐるんぐるんと目まぐるしく変わるとにおいが変わった。
重い感じの・・・。
脂っぽくてすっぱくて少し煙っぽい・・・。
嗅覚って人に伝えるの本当に難しいけれど、おそらく「汗かいたおじさんのにおい」が想像しやすいかもしれない。
そしてほんの少し木とか草のにおいがした。
いやな予感はしてたんだよ。
病院っぽいにおいとかしないんだもん。
うっすら見える光景は明らかに屋外だし、夕方越して宵の口だし家の近所と比べて自然豊かにも程があるし、視界がぐわんぐわん動くたびに湿った草と土のにおいが濃くなっていく。
案の定次に見えたのは茶色い土のどアップ。
そして噎せ返るほど強烈な湿った土のにおい。
これ母さんが良くテレビで観てる奴でよくあるシーンだ!
なんて考えていたらすぐに真っ暗になって視覚も遮られた。
ただただ嗅覚だけがなぜかずっと残っている。
土臭い。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
動けない。
怖い寂しい。
土臭い。
思考はずっとそのループで苦しいとか痛いとかは一切感じなかった。
土臭い。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
動けない。
怖い寂しい。
土臭い。
何度も何度もそう考えて時々それまでの人生を思い出して悲しくなって、でも涙も出ないし声もでないし痛くなる胸の感覚も思い出せなくて。
土臭い。
なにも見えない。
なにも聞こえない。
動けない。
怖い寂しい。
土臭い。
時間の感覚もなかったけれど、数分とか数時間とかじゃなくて永遠だと感じるくらいずっとそれをループしてループして、ぱちくりとまばたきをすると「大蔵じいさんとがん」を読みながら良い話だなと胸を熱くしていた。
あれ?ん?まてどうして?
僕はさっきまで土の中で?いやそんなことあり得ないし?
今は授業中だったよね?え?
突然とてつもない恐怖とか絶望とか哀しみとかが押し潰すみたいに襲いかかってきて、僕は授業中の教室で叫びながら泣き出した。
今何してるかの記憶はある。
小学五年生の二学期で三時間目の国語の授業中だ。
昨日何してたかも思い出せる一昨日も先週の土日どこで誰と遊んだかも。
でも一ヶ月前以前のことはこれっぽっちも思い出せない。
そしてそれ以前で思い出せるのは三年生の終業式の日。
それ以前のことはぼんやりとだけどちゃんと思い出せる。
すっぽりとあの夏休み前日から五年生の夏休み明けまで記憶が抜けている。
それなのに当然クラスメイトも自分自身も成長しているはずだけど、別に違和感はない。
担任教師も変わっていたけれどそのことも理解している。
頭ぐちゃぐちゃで不安で怖くて辛くて悲しくて気味が悪くてとにかく叫びながら震えることしか出来なかった。
さっきまで普通に授業を受けていた生徒が突然発狂したんだから周囲はえらい騒ぎだったらしいけど、僕は怖くて怖くて泣きながら蹲って震えていた事しか覚えてないや。
授業どころじゃなくて先生が担いで保健室直行してそこでも会話にならなくて
、しばらくして母親が迎えに来てくれたけど、歩くこともままならず五年生をだっこで車に乗せるのは大変だったと怒られた。
その時は震えていただけだったらしいけど、車に乗ったことでまたスイッチが入ったらしく、大絶叫してついに意識なくしたようだ。
次に目が覚めたのは自室のベッド。
夜中だったから数時間かと思ったら丸々二日以上寝てたらしい。
当然親とか教師とか皆に何があったのか聞かれたんだけど、あんまりに気味が悪いし不吉だし頭おかしいって当時も理解していたから。
うとうとして居眠りしたら凄く怖い夢をみちゃってそれが凄くリアルで・・・って話で濁してた。
明らかにそんなレベルの発狂じゃなかったから皆なんとなく気を使って納得したフリをしてくれてたんだと思う。
親には一度医者にもつれてかれたし、たぶんあれは精神科だったんだろうけど、普通に受け答えしていたら特に異常なしで終わったよ。
それから時々僕の空白の時間について家族や友人に話を聞いていったんだけど、特に性格が変わったとか異変があったとかは一切なかった。
三年生の一学期の終業式も何事もなく、帰宅して夏休みには予定通り旅行に行ったらしい。
旅行を予定していたことは覚えているけれど行った記憶はない。
五年生の夏休みまでに旅行やら遠足やらで行った場所は高校卒業までに折を見て再訪してあるけれど、記憶が呼び覚まされることは一切なかった。
むしろもっと小さいときに一度来たことがあるのを思い出して更に空白期間の存在を強めることになったよ。
ちなみにその約二年の間に僕の地元地域では日本中が記憶している位の大事件が二つあった。
それも一つは地元で起きた災害なので親兄弟も地元の友人も時々その話をすることがあるし、そんなことがあれば絶対忘れるはずなんて無いのに僕は全くその時のことを覚えていない。
あと地味に地獄だったのが勉強がまるまる二年分すっ飛んだことだったよ。
ちゃんと空白の時間も授業を受けていたようで、その間のテストとかはそれなりの点数ちゃんと取れている物的証拠があるのに、当時の僕にはその問題を解く知識が完全に失われていた。
特に算数はどちらかというと得意科目だったのに、その二年を取り返せない内に進級していってしまって中学で完全に躓いた。
高校受験前にはなんとか赤点回避レベルまで追い付いたけど本当に辛かった。
でもこのことで何かの問題が起きたのはこれだけ。
もちろん今でも山のにおいとか粘土っぽい土のにおいとか嗅ぐと不安な気持ちを思い出すことがあるけれど、パラレル的な世界で死んだ「僕」の記憶があの授業中に何かのエラーでこの世界の「僕」に上書き保存されてしまったという現象なのかなって。
そういう落とし所をつけたら怖いというより切ない感じで受け止められるようになった。
ということでおそらく僕はずっと前に死んでる。
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